豊竹咲甫大夫は『茶の本』を読んで自然と人間を対等に扱う日本のこころを知った

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

新訳茶の本

『新訳茶の本』

著者
岡倉, 天心, 1863-1913大久保, 喬樹, 1946-2020
出版社
角川書店
ISBN
9784043093038
価格
691円(税込)

書籍情報:openBD

豊竹咲甫大夫は『茶の本』を読んで自然と人間を対等に扱う日本のこころを知った

[レビュアー] 豊竹咲甫大夫(人形浄瑠璃文楽座・太夫)

豊竹咲甫大夫

茶を飲むという日常の行為を芸術にまで高めた茶道。明治時代の思想家である岡倉天心は『茶の本』の中で花に注目します。茶人たちは茶室に飾るたった一輪の花にも真剣に向き合う。そこに天心は、人間は自然と対等であるという日本人の自然観を見出します。
 また、茶人の死を、死にゆく花の姿にたとえ、人間の死をも見つめます。このように花道は茶道によって深い意味合いを持つものとして発展してきました。
 茶人は宗教的崇拝の念をもって花を扱う。花を摘むのも手当たり次第ではなく、心に思い描く芸術的造形にしたがって注意深く一枝一茎を選ぶのであり、もし必要以上に切ってしまうようなことがあれば恥じ入るほかはない。茶や花に通じる人々は、無闇やたらに花を摘みとるようなことはありません。花と人間を同等に扱い、花に対する尊敬と崇拝の念をもって接しているのです。
 しかし西洋では花の扱いが大きく異なっていると天心は言います。西洋では、花の展示が富の見せびらかしの一部であり、つかの間の遊びであるように思われると。これら多くの花は、騒ぎが終わった後どこに行く運命なのか。色あせた花がごみの山の上に無常にも放り出されている眺めほど痛ましいものはありません。欧米社会において花はパーティーなどを彩る役目が終われば無用のごみとして投げ捨てられてしまいます。花を単なる物質的資源として扱うことも多いのです。
 天心は自然と人間を対等に扱うという日本の茶人のもつ自然観についてこう述べています。茶人は、花を選びさえすれば責任は果たしたとしてあとは、花が花自身の物語を語るのにまかせる。暑さでうんざりするような夏の日、昼の茶会に呼ばれて行ってみると、ほの暗く、涼しげにととのえられた床の間に一輪の百合が釣り花瓶に生けられているのに出会うかもしれない。露に濡れたその花の様子は人生の愚かしさに微笑んでいるかのようだと、天心は語ります。人間の営みの有限性、相対性、儚さを、ここでは一輪の花が「ほほ笑んで」許し、受け入れてくれるのです。
 9月文楽公演で上演される『一谷嫩軍記』は源氏方の熊谷直実が平敦盛を討ち、世の無常を感じて仏門に入ったという『平家物語』などでも名高い史実を踏まえ、「直実が討ったのは敦盛ではなく、身替りの我が子だった」という大胆な創作が加わる戯曲です。「熊谷陣屋の段」の舞台には桜の木。そこには立て札があり「一枝を切らば一指を切るべし」と書いてあります。枝を一本切った者は、罰として指一本を切るという警告ですが、これには「裏の意味」があり、その立て札を直実は深い想いで見つめます。「一枝」「一指」とは、「一子」でもあり、つまり「一子を斬れ」という、主(あるじ)源義経が直実に下した命令であると。
 天心は、茶人の死を利休の最期を語ることで締めくくります。「美しく生きてきた者だけが美しく死ぬことができる」と。死は生の完成であり、至高の芸術であると言っていいのかもしれません。

 ***

『新訳・茶の本―ビギナーズ日本の思想』
翻訳は評論『岡倉天心』で和辻哲郎文化賞受賞した大久保喬樹。初心者にもわかりやすく、読みやすさに徹した訳文になっている。〈ビギナーズ日本の思想〉シリーズの1冊。角川ソフィア文庫

太田出版 ケトル
VOL.32 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク