文月悠光は『レモンケーキの独特なさびしさ』を読んで輝く折り合いのつけ方に出会った

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レモンケーキの独特なさびしさ

『レモンケーキの独特なさびしさ』

著者
エイミー・ベンダー [著]/管 啓次郎 [訳]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784041104859
発売日
2016/05/26
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

文月悠光は『レモンケーキの独特なさびしさ』を読んで輝く折り合いのつけ方に出会った

[レビュアー] 文月悠光(詩人)

文月悠光

 自分の感覚と、周囲の感覚が異なるとき、人はどのように生きていくべきだろう。他人と衝突することなく、自分の感覚を否定することもなく、世界と折り合いをつけていくには? そのための最良の「選択」とは何だろうか?
 エイミー・ベンダーの新刊『レモンケーキの独特なさびしさ』を読み、胸の中にそんな問いかけが渦巻いた。物語は、ある特殊能力を持つ少女を語り手に、彼女の目を通した、家族の姿を十年以上の歳月にわたって追い続ける。
 主人公ローズは、九歳の誕生日に、母が作ったレモンケーキを食べて奇妙な味を感じた。ひと口ごとに〈不在、飢え、渦、空しさ〉が押し寄せてくる。それは認めたくなかった、母の孤独感だった。
 以来ローズは、食べると、その料理を作った人の感情がわかるようになる。それどころか食材の産地、栽培方法、製造された工場の様子まで、ありありと思い浮かぶのだ。彼女は能力を通じて、母の秘密に気づき、父の無関心さを知り、兄が世界から遠ざかる危うさを覚える。
 一家は微妙な歪みを抱えていた。父と母は互いを避けており、母はジョゼフに(母と息子の関係を超えた)過剰な愛情を注いでいる。「あの子が私をみちびいてくれる」とジョゼフの素晴らしさを語る母。ローズは思わず問いかける。〈私もママをみちびく?〉。母の兄に対する愛情に、ローズは疎外感を抱き続けている。
 やがてローズが危惧していた通り、ジョゼフは本当に姿を消してしまう。〈いなくなる〉こと、それこそが彼の能力だったのだ。彼の失踪の真相は、若い頃の両親を結びつけた、あるモチーフに隠されていた(母を〈みちびく〉存在であるジョゼフが、そのモチーフに惹かれたのは、物語において必然的に思える)。
 ローズは一家の歪みを観察しながら、自分の感覚に合う食べものを懸命に選び取っていく。その果敢な「選択」は、食べものの枠を越えて、彼女の人生全体に作用していく。
 また終盤には、父も別の形で、能力と日常の折り合いをつけていることが明らかになる。彼は自分の能力を封じ、かたくなに口をつぐんできた。彼の「選択」が、一家を救ったのか、それとも結果的に不幸にしてしまったのか。答えはないが、「自分ならどうするだろう」と、私は再び物語を辿り直した。
 著者は日本の読者に向けて、次のような言葉を綴っている。〈この本を書いているあいだ、感じやすい(sensitiveである)とはどういうことかについてたくさん考えていた〉〈それがどういうときに、強みとなり、才能となり、どういうときに、大きな痛みをもたらすことになるのかを〉。
 社会の現行のシステムは、人々に「タフで鈍感になること」を強いてくる。けれども敏感な人々は、胸の内に、言葉にできない多くの「痛み」や「気づき」を抱えている。その「痛み」を、他人に伝わる形で表現できたとき、彼らは己の能力を初めて解き放てるのだろう。ローズの成長を見届けて、そんな輝くような「折り合いのつけ方」もあるのだ、と私は強く励まされた。

 ***

『レモンケーキの独特なさびしさ』
9歳の誕生日、母が作ってくれたレモンケーキをひと口食べた瞬間、知りたくなかった母の感情が流れ込んできた。以来、食べるとそれを作った人の感情がたちまちわかる能力を得たローズは……。角川書店。2376円

太田出版 ケトル
VOL.32 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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