『慈雨』
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冤罪の可能性に葛藤する元刑事『慈雨』柚月裕子
[レビュアー] 西上心太(文芸評論家)
群馬県警を定年退職した神場智則は、妻の香代子とともに、念願だった四国八十八箇所を徒歩で回る歩き遍路の旅に出た。初日の夜、群馬県の里山で数日前から行方不明だった幼女の遺体が発見されたというニュースが流れ、それを見た神場は激しく動揺する。十六年前にも似た事件があり、今回と同じ里山で遺体を発見したのは神場自身だったのだ。元部下で娘の恋人でもある緒方を通して神場は事件に関わるが、十六年前に「解決」した事件は冤罪だったのではないかという閉じ込めていた思いが、神場の胸に去来する。
心の安寧や贖罪など巡礼者の目的はさまざまである。若手のころ結婚間もない妻とともに経験した、閉鎖的な村での駐在所生活の苦労、敬愛する先輩夫婦を襲った悲劇などを噛みしめながら、神場は札所を回る。だが警察官時代に関わった事件被害者の弔いのためという巡礼の目的は、新たな幼女拉致殺害事件が起きたことによって色あせ、単なる自己満足に過ぎないのではないかという疑問にとらわれ始める。さらに事件の真相を歪めてしまったのは、子供時代にもあった、肝心な時に怯んでしまう自分の心の弱さではないかとの思いにも苛まれる。
だが、神場は遍路道でのさまざまな人との出会いから、自己を見つめ直すとともに、事件のヒントをもつかんでいく。それを電話で後輩に伝えることで、迷宮入りになりかねない難事件に突破口が開かれていく。季節は六月から八月へ。真夏の太陽に灼かれながら神場夫婦が結願に近づくのと歩みを合せるかのように、事件も解決へ向かっていく。お遍路が主人公という異色の警察小説であり、妻や娘との絆を再確認する家族小説でもある。物語の最後に降る慈しみの雨は、読む者の涙を象徴するかのようだ。