佐々木譲・インタビュー 逮捕から始まるドラマを書く

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沈黙法廷

『沈黙法廷』

著者
佐々木 譲 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104555116
発売日
2016/11/22
価格
2,310円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

佐々木譲・インタビュー 逮捕から始まるドラマを書く


佐々木譲さん

――『沈黙法廷』は、警察小説と法廷ミステリーが融合した意欲作です。

佐々木 警察小説をずっと書いてきた身として言えば、警察小説では、真犯人の逮捕で事件が解決し、主人公の刑事たちもそれで達成感が得られます。しかし、現実の事件を見ていけば、決して犯人の逮捕で事件が終わるわけではないと気づいてきたのです。誰かが殺されたという事実があって、犯人が逮捕され起訴されたとしても、法廷で適用される法律は必ずしも殺人罪とは限らないし、冤罪という可能性もあります。特に否認事件の場合は、裁判という場でもう一度解決しなければならない。逮捕のその先のドラマを書いてみたいと思いました。

――裁判を小説で書くことに、以前から関心があったのでしょうか。

佐々木 二十年以上前になりますが、東海銀行秋葉原支店不正融資事件の裁判を傍聴したことがあります。バブル期の金融犯罪を法廷小説として書けないかと考えて、十回くらい傍聴に通ったのですが、当時の裁判は一ヵ月に一度程度しか開かれなくて、なにしろ時間がかかるし、こちらもだんだん飽きてくる。結局、書きませんでした。

――それで『沈黙法廷』が初めての法廷小説になったわけですね。

佐々木 二〇〇九年から裁判員裁判が始まって、日本の裁判も欧米型、劇場型の裁判に近づいてきています。それなら公判の様子を正確に臨場感をもって描き出して、面白い小説にできるのではないかと考えたのです。アメリカのTVドラマ『ロー&オーダー』が好きで、ずっと見ていますが、あのように前半が警察の捜査、後半が裁判という二部構成にすることで、今なら書けると思いました。

――新たに裁判の傍聴や取材もされたのでしょうか。

佐々木 都内で起きたある殺人事件の公判を、第一回から判決言い渡しまで、ほぼ全部、傍聴しました。ほかの事件も見ましたので、全部で二十回以上、法廷に行っているでしょう。取材をして驚いたのは、日本の裁判では公判前整理手続で非常に綿密にストーリーが作られるということです。弁護側と検察側の駆け引きはここから始まっていて、実際の公判より面白いかもしれないとさえ思いました。


――『沈黙法廷』でも、公判前整理手続の場面が一つの見せ場になっていますが、そこで裁判の大筋が決まってしまうと、小説としては困りますね。

佐々木 そこで最後まで話が見えてしまっては、小説、とりわけミステリーにはならない(笑)。しかし、検察側が出してくる証拠に対して、弁護側が別の意味を発見できれば、それを材料にして被告の犯人性を否定することができます。公判前整理手続では手の内を見せずに証拠を出させておいて、公判で引っ繰り返すことが可能です。現実の裁判でも、そうした場面を目のあたりにしました。

――現実でも小説でも、やりようによってはドラマチックにできると。

佐々木 野球にたとえれば、検察側と弁護側が一イニングごとに逆転する試合でないと面白くない。もちろん、検察側も弁護側も、論理性、合理性の戦いです。証人尋問から最終弁論まで、検察側の勝ちか、それとも弁護側が正しいのか、表と裏で論理の逆転を作っていかなければなりません。全部そうはならなかったかもしれませんが、一イニングごとの逆転をできるかぎり意識して書いたつもりです。検察側の質問は検察側になりきって書き、弁護側の場面は百パーセント弁護側になりきろうと努めました。

――弁護側の立役者になる矢田部弁護士にはモデルがいるのでしょうか。

佐々木 風貌や経歴を詳しくは書いていません。長身でスーツが似合うというくらいしか描写していませんが、モデルはいます。いくつかの公判でその活躍を見て、この人なら小説のモデルになると確信しました。その人のイメージを借用しています。

――被告となるのは、経済的に厳しい境遇に置かれてきた、三十歳の家事代行業の女性です。

佐々木 近年、若い世代がとてもひどい状況に置かれています。職がない、あっても非正規で、展望が見えない……。私が若い頃には考えられなかった状況です。エンターテインメントを書くからには、そうした若い世代の貧困を正面から取り上げないわけにいかない。テレビのワイドショーのように、本当は信じてもいない倫理観に拠って、貧しい人を頭ごなしに叩く風潮には我慢ならないのです。シングルマザーやひとり暮らしの女性の犯罪がセンセーショナルに報道されますが、そのような状況にまで追い詰められてしまった女性の足跡を描いてみたかった。自分の周囲にバリアを作って、その内側で身を固くして生きている女性を描いてみたいと思いました。

――有罪か無罪か、判決が下ったあとの彼女の姿がとても感動的です。今後も法廷小説を書く予定は?

佐々木 警察小説では、ある種のファンタジーが読者との間に共有されていると思います。だから、警察機構の描写が現実と多少違っていても納得してもらえる。しかし、法廷小説にそのようなファンタジーは共有されていません。厳格な法律と手続に従わなくてはならない世界、大きな嘘は書けないし、逃げが通用しない世界です。日本の裁判を正確に描くのは、とても負荷が高い仕事だとわかりました。同時に、とてもやりがいのある世界ではあると思います。これで回答にさせてください(笑)。

新潮社 波
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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