ヒラリーという数奇な人生

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ヒラリーの野望

『ヒラリーの野望』

著者
三輪 裕範 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784480069214
発売日
2016/10/05
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ヒラリーという数奇な人生

[レビュアー] 安河内龍太(国際情報サイト『フォーサイト』編集長)

 ビル・クリントン大統領夫妻が、ヒラリー夫人の故郷近くでガソリンスタンドに立ち寄る。そこでヒラリーはかつてのボーイフレンドと思しき店員と言葉を交わす。

《ビルは得意満面でヒラリーにいった。「君はあんな奴とデートしていたの? でももしそのまま奴と結婚してたら、どうなっていたことかね」。ヒラリーは肩をすくめていった。「もし彼と結婚してたら、今頃あなたがあそこでガソリンを入れて、彼が大統領になっていたわよ」》

 これは、二人の関係を揶揄した有名なジョークなのだそうだ。本書『ヒラリーの野望』の中で紹介されている。

 この秀逸なジョークが生まれたのはビルの大統領在任中だろう。思わず笑ってしまうのと同時に、この夫婦はこれまで何十年もの間、米国社会の中でジョークのネタとしても機能してきたのかと思うと、人ごとながら、彼らの人生の道のりの重さに、ある種の感慨を抱かざるをえない(他にも色々なジョークがあるのでしょう)。

 ビル・クリントンは超エリートだけが選ばれるローズ奨学生として英オックスフォード大学に留学したくらいだからもちろん優秀なのだが、ヒラリーの優秀さと「内助の功」がなければ大統領になれなかったという見方は十分成り立つ。

 ヒラリーは名門女子大ウェルズリー大学での卒業スピーチが注目され『ライフ』誌やテレビで取り上げられるなど、ビルと出会うことになるエール・ロースクールに在学中、すでに学内でスター的な存在だった。二人は結婚し、夫は三十二歳でアーカンソー州の知事となる。

 教育改革を推進する組織の委員長という公職に就くと、ヒラリーはその卓越した能力を発揮していく。反対派説得のために州議会に乗り込んだヒラリーに対して、ある議員はそのプレゼンテーションのあまりの見事さに「どうやら私たちは間違った方のクリントンを選んでしまったみたいだ」とつぶやいた。

 ヒラリーの公人としての存在感は揺るぎないものとなり、八六年の知事選挙中、夫のビルは女性問題で激しく攻撃されるが、「ビルに投票すればヒラリーも一緒についてくる」(Buy One, Get One Free)と考える有権者のおかげで四選を果たす。

 その後、ヒラリーは米国のファースト・レディとなり、上院議員、国務長官を務め、これを書いている九月末の時点では、かつてないほどの注目を集める米大統領選を戦っている。

 対するは、共和党候補のドナルド・トランプである。反エスタブリッシュメントの風がいくら強いとはいえ、顔合わせが決まればいずれ形勢は「ヒラリー有利」に落ち着くだろうという事前の予想に反し、勝負の行方は直接対決の討論会に突入してもはっきりとは見えてこない。

 今回の選挙は「嫌われ者同士の戦い」と言われる。確固たる政策の軸を持たず、人種差別的、女性差別的な発言を連発する「確信犯」のトランプが嫌われるのはわかる。が、一方のヒラリーは、なぜそこまで嫌われるのか。「傲慢」「不誠実」「間違いを認めない」「新鮮味がない」など様々な声はあるが、決定的な答えはなかなか出てこない。

 とはいえ、あまり人から好かれない、という傾向は、大統領候補の座を争い、バラク・オバマに敗れた八年前も明らかだった。ヒラリーはこのとき、味方と信じていた多くの人間から裏切られる。民主党上院院内総務、同じニューヨーク州の同僚上院議員、「モニカ・スキャンダル」による大統領弾劾裁判で弁護士を務めたロースクール時代からの親友、スティーブン・スピルバーグなどハリウッドの大立者たち……。彼らはそろってオバマ支持に回った。

 なぜ彼女は嫌われるのか? 本書には、その理由について、多くのヒントがちりばめられている。ここに書かれているのは、「一人の人間としてのヒラリーの人生」に他ならない。その数奇な運命に思いを巡らせながら選挙戦を見守るのも悪くはないだろう。

ちくま
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

筑摩書房

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