『魂の沃野 上・下』 北方謙三著

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魂の沃野 上

『魂の沃野 上』

著者
北方謙三 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784120048883
発売日
2016/09/20
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

魂の沃野 下

『魂の沃野 下』

著者
北方謙三 [著]
出版社
中央公論新社
ISBN
9784120048890
発売日
2016/09/20
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『魂の沃野 上・下』 北方謙三著

一向一揆の世、豊穣に

 室町~戦国時代のほぼ100年間、加賀国(石川県南部)は、「百姓ノ持チタル国」とよばれる独立国だった。本願寺とその教えを信仰する人々が、守護である富樫政親(まさちか)を攻め滅ぼし、一世紀にわたる自治を勝ち取ったのである。これは「加賀の一向一揆」とよばれ、乱世の歴史のなかでもひときわ異彩を放つ出来事だった。

 南北朝時代をはじめ日本の中世を舞台にした歴史小説を多く書いてきた著者が、みずから「日本史を取りこんだ私の歴史小説の、多分、最後のものになるだろう」と語る本書は、その「加賀の一向一揆」の物語である。

 主人公、風谷(かぜたに)小十郎は、加賀の地侍である。彼は本願寺や一向宗門徒たちの信仰に仄(ほの)かな憧れを感じつつも、その原理主義的な傾向に違和感を抱いていた。また、一方の守護、富樫政親に対しては、情熱漲(みなぎ)る高い志に共感しつつも、その覇権主義的な性向に割り切れない思いを感じていた。物語は、一向宗と守護とのあいだで揺れる小十郎を軸に展開していく。

 本書で鮮烈な印象を残すのは、中世加賀の人間と自然の豊穣(ほうじょう)さの描写である。都で暮らす室町将軍は、庭石の下の虫にしか野生を見出(みいだ)すことができず、孤独を託(かこ)つ。対照的に小十郎の周囲には、「山の衆」や「河原の衆」「革の衆」とよばれる山の民・川の民が往来し、山野河海の恵みをもたらし、日常に彩りを添える。本書で何度か登場する野外での鶉(うずら)や兎(うさぎ)の調理風景も、火中にしたたり落ちる脂の音や身の焦げる香ばしい匂いがまるでページから湧き上がってくるかのようで、それ自体、この土地が「沃野(よくや)」であることを象徴している。

 やがて小十郎は迷いの末、歴史を動かす一大決心をすることになるのだが、彼を突き動かしたのは、結局、宗教でも政治でもなく、その肥沃な郷土への思いだった。自然に抱かれた人間本来の生き方を詳述した著者の描写が、最後の小十郎の決断に、静かな迫力を与えている。

 ◇きたかた・けんぞう=1947年、佐賀県生まれ。2006年『水滸伝』で司馬遼太郎賞など、受賞多数。

 中央公論新社 各1500円

読売新聞
2016年11月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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