戦乱の世、宿命に対峙した女性 「宇都宮釣天井事件」に新解釈

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梅もどき

『梅もどき』

著者
諸田, 玲子, 1954-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041034750
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

「宇都宮釣天井事件」本多正純の辞世の句に込められた思い――

[レビュアー] 中江有里(女優・作家)

 歴史小説ではたった一つの選択で失脚し、表舞台から消えていく人々がいる。しかし道を選べる者には、まだ自由がある。戦乱の世では女性は政治の道具とされ、選択の余地はない。ただ自らの運命に翻弄されるばかりだった。

 本書の主人公は少し違う。逃れられない宿命に対峙し、決意して自分の足で道を歩いていく。細いがよくしなる枝のように、簡単には折れない意志の持ち主だ。

 太閤秀吉の従弟である青木勘七は、関ヶ原の戦いに赴き、敗北した。勘七の娘・お梅は石田三成の娘・お辰を伴って逃げ惑う。明日をも知れない日々の中で、お梅は自分が徳川の血縁であることを知る。

 豊臣方でありながら、徳川の血縁であるお梅の存在は、徳川側からある種の「切り札」と見なされた。ほどなくして家康の側妾(そばめ)となる話が持ち上がる。

 お梅は家康を「閻魔」と呼び、側妾になるなら「死んだほうがましです」と拒絶するが、多分心の内では、簡単にあらがえないことをわかっているのであろう。それでも逡巡する様子が、聡明でまっすぐなお梅の性質をよくあらわしている。父が残した「生きよ」という命に従い、家康の側近・本多弥八郎への密かな思いを断ち切るまで、彼女は決して自分の運命をあきらめることなく、定めを受け入れるために考え抜くのだ。

 本書は、お梅の視点と晩年の弥八郎(本多正純)の視点が交互に描かれる。家康から下賜されたお梅と過ごす時間は、正純にとって戦の日々で唯一平和の時だったに違いない。お梅も、思いを寄せた男性のそばにいられる幸福をかみしめただろう。

 しかし平和は長く続かない。

 歴史という曲げられない運命の中で、正純失脚の理由とされる「宇都宮釣天井事件」が持ち上がる。幕府に対する謀反を疑われた正純は転封(てんぽう)を拒み、潔白を証しようとする。

 繰り返すが、歴史は曲げられない。しかしなぜ事件が起きたのか、その解釈は新たに加えられる。本書では、謀反の疑いを晴らすだけでなく、横手に蟄居させられた後の正純と離ればなれになったお梅の行動にも触れている。正純辞世の歌に詠み込まれた「梅もどき」の意味は、読み手がそれぞれに余韻をかみしめることができるだろう。

 そしてもう一つ、歴史には残らない愛が小説にはあらわれる。正純とお梅の関係が光なら、もう一方は影。濃い影のシルエットは、本書にさらなる深みを与えてくれるようだ。

新潮社 週刊新潮
2016年12月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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