「耳のよさ」が際立つ三島賞作家の復活
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
デビュー作『こちらあみ子』で三島賞を受賞するも、その後、沈黙を続けていた今村夏子が復活してうれしい。
福岡の小出版社から出た文芸誌「たべるのがおそい」の創刊号に発表された「あひる」は芥川賞の候補になり、本書にはその表題作と、書き下ろしの「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の三編が収められている。沈黙というのはこちらの思い込みで、もしかしたら作家自身は書くことをずっと止めていなかったのかもと思わせる充実ぶりだ。
彼女が描く小さな世界は不安と安定とが微妙な均衡を保つ。動いているのはもっぱら老人と子供で、実生活においてほとんど力を持たない両者が接点を持つときになにかが起きる。ドラマと呼ぶには淡々(あわあわ)としているが、互いの存在を受け止めることで日常にさざ波が立つのだ。
今村夏子はとても耳のいい作家だと思う。「あひる」の主人公は、資格取得のためずっと家にいて、父親が知人から譲り受けたあひるの「のりたま」を見に来る子供たちの声を二階の部屋で聞いているし、どなり声で、成人した弟が家に来たことを察知する。「おばあちゃんの家」でも「森の兄妹」でも、新たな通路が開くきっかけは「おばあちゃんの声」である。
『あひる』を読むと、何もないのに毎日が不安と冒険と失意と喜びの連続だった幼いころの気持ちをありありと思い出す。
彼女の小説が「ちょっといい話」で終わらないのは、ところどころに不穏なものが埋め込まれているからで、たとえば「あひる」の主人公の両親は、飼っているあひるの元気がなくなると、どこからともなく別のあひるを連れてきて元気になったかのようにふるまい、「わたし」も見て見ぬふりをする。何のために、ということは問われない。
三編とも、あっさりと突き放しつつ余韻を残す終わり方に、作家の持ち味が凝縮されている。