『梅もどき』
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戦国女性の生き方描く、心震える感動作
[レビュアー] 葉室麟(小説家)
数奇な運命という言葉は、この物語の主人公、お梅のためにあるのではないか。
作者はよくぞこのような女性を発掘して小説にしたものだ、と感嘆した。
物語は、宇都宮事件で失脚した江戸幕府草創期の実力者、本多正純が亡くなった年、寛永十四年(一六三七)を起点に過去が振り返られる巧緻な構成で展開される。
太閤秀吉の従弟で家臣でもあった青木勘七の娘、お梅は大坂屋敷で暮らしているが、やがて関ヶ原の戦いで運命が大きく変わり、徳川家康の側妾となり、さらに家康の寵臣、本多正純に下げ渡される。
お梅は大坂の陣、家康の死、さらに本多家の改易と時代の変転に巻き込まれていく。時代に翻弄された女性の一生を悲しいと見ることは可能なのだろうが、お梅は決して絶望せず、自分を見失わずに生きていく。
お梅は聡明で気丈でもある。家康の側室の話があったときは、
「伏見城にあがって内府様の側妾になるなど……死んだほうがましです」
と言ってのける。また、かねてから思いを寄せていた本多正純のもとへ下げ渡されると聞いたお梅は歓喜こそすれ、卑屈になることはない。あくまで自らの意志で生きるのだ。
お梅が正純のもとに輿入れした初夜の様子はいじらしくもせつない。
ひとは自らの心に正直でさえあれば、おのれを美しく保てるのだ。お梅は、まさにその通りだが、正純もまた然りだ。
幕府内の暗闘に敗北した正純だが、老いてなお風韻を失わず、作者は、
これぞ武士――。
とため息まじりに描写している。一方、お梅は宇都宮事件の後、伊勢に寺を建立して隠棲する。晩年を静かな佇まいで過ごすお梅の胸に去来したものは何なのか。
ところで、この物語には、拙作『津軽双花』の主人公である石田三成の娘、辰姫も登場する。辰姫は関ヶ原合戦の後、津軽藩主のもとに嫁する。辰姫にも数奇な運命が待っている。戦国の女たちの人生は響き合うかのようだ。
香を焚きこめた衣装に身を包んだ女人たちが金箔に彩られた扉をゆるやかに開けると、艶麗な世界が絵巻物のように目の前に現れる。そして夢の時間を読者に過ごさせた後、静かに扉は閉じていく。
それが本作だ。作者は「あとがき」でお梅に興味を持ったきっかけとして先輩作家、杉本苑子さんの『汚名』をあげている。それは象徴的なことだと言える。
先達である杉本さんや永井路子さんが切り拓いた、女性が主人公のはなやかでありながら重厚で正統的な歴史小説の継承者は諸田玲子さんだと思うからだ。
また、諸田さんは歴史において、「あまりに女性が過小評価されていると感じる」と述べ、そのことへの、
――悲憤
をもらしている。歴史は一面では権力者の交替史として語られる。そのような物語において女性の存在は語られることが少ない。しかし、それはおかしなことなのだ。
権力者はひとびとの生活に大きな影響を与えるが、個人の人生の価値に関しては指一本ふれることはできないのだから。
ともあれ本作は、本多正純の辞世の和歌、
日だまりを恋しとおもふ梅もどき
日陰の赤を見る人もなく
で終わる。寒苦に耐えて咲き、落葉してもなお赤い実を枝につける梅もどき。まさにお梅のようだ。そのことを「梅もどき」というタイトルに込めた作者の奥ゆかしさは心憎い。
夕陽の輝きを湖面に映すかのような和歌の美しさに心が震えた。