『パリの住人の日記 II』 堀越孝一訳・校注

レビュー

8
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パリの住人の日記 2 1419−1429

『パリの住人の日記 2 1419−1429』

著者
堀越 孝一 [訳]
出版社
八坂書房
ISBN
9784896947465
発売日
2016/10/27
価格
4,104円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『パリの住人の日記 II』 堀越孝一訳・校注

[レビュアー] 出口治明(ライフネット生命保険会長)

中世の貴重な生の声

 英仏100年戦争の後半期、1405年から半世紀近くパリの名称不明の住人が日記を書き、写本の形で残った。15世紀初頭のパリの実相を伝える貴重な資料としてホイジンガの名著『中世の秋』にも度々引用されている。本書はその名訳で(Iは2013年刊行)、年代的には1419年~29年をカバーする。この時期は100年戦争のまさに白眉の時代であった。

 19年、パリを制したフランスの王族ブルゴーニュ公と結んだイングランド王ヘンリー5世の進撃が続く中、フランス王シャルル6世はパリを出てトロワに避難した。パリのまわりは群盗(レザルミノー)が荒らしまわっていた。

 日記の主は「王はいつ帰ってくるのか」と嘆く。「レザルミノーの残忍には前代未聞のものがあり」「だからこそ、フランスの古い敵のイングランド王と協定を結び、フランス王の娘のひとりをかれに与えることが適当であったのだ」と、次期フランス王位をヘンリー5世に与えた屈辱的な「トロワ条約」(20年)を肯定している。パリ市民は安定を求めていたのだ。

 21年、「フランスの娘は、イングランドで、男の子を産み、その子はヘンリーと名付けられた」。英仏両王となるヘンリー6世のことだ。翌22年8月、ヘンリー5世が急逝。9月、フランス王がパリに帰還するも、10月に死去。日記には、ノートルダムでの葬儀の様子が細かく描写されている。幼児のヘンリー6世に代わって5世の弟ベッドフォード公が摂政となる。

 29年にはプセル(ジャンヌ・ダルク)が現れ、パリに攻めてくるが「矢はグサリと脚に刺さる、かの女は逃げる」とある。住人はプセルにシンパシーを抱いていなかったようだ。

 日記は食料の値段や、セーヌの氾濫、悪疫の流行など見たものを几帳面(きちょうめん)に記し、歴史の生々しい証言に触れられる。しかし、本書の最大の魅力は碩学(せきがく)のウィットに富んだ訳注にある。余りに読むのが楽しく時間を忘れてしまった。

 ◇ほりこし・こういち=1933年、東京生まれ。学習院大名誉教授。訳書にホイジンガの『中世の秋』。

 八坂書房 3800円

読売新聞
2016年12月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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