『悲劇の構造 シェイクスピアと懐疑の哲学』 スタンリー・カヴェル著

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悲劇の構造

『悲劇の構造』

著者
スタンリー・カヴェル [著]/中川 雄一 [訳]
出版社
春秋社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784393323519
発売日
2016/10/25
価格
4,860円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『悲劇の構造 シェイクスピアと懐疑の哲学』 スタンリー・カヴェル著

[レビュアー] 納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

圧巻の『リア王』解釈

 没後400年を迎えたシェイクスピア。その悲劇はいまだに解釈が尽きず、というより、より多くの新たな疑問を生み出している。その7作品を論じるのは、現代アメリカを代表する哲学者スタンリー・カヴェル。日本ではあまり知られていないが、ハーバード大学で独自の思索を展開し、映画論などでも活躍、熱烈なファンを持つ哲学者である。

 四大悲劇を中心に折々に書かれたシェイクスピア論をまとめた本書は、無論哲学ならではの難解さに満ちている。だが、フロイトやニーチェやデカルトやウィトゲンシュタインらから深層へと切り込む迫力、言葉への繊細な感覚は、シェイクスピアと哲学双方への関心を掻(か)き立ててくれる。

 圧巻は『リア王』開幕部の読解であろう。老王リアはなぜ姉娘たちの見え透いた嘘(うそ)に喜び、末娘の真心に怒りをぶつけたのか。従来は無思慮や耄碌(もうろく)、作者の不首尾といった理由で曖昧に済まされてきた悲劇の出発点に、カヴェルは驚くべき解釈を示す。王は偽りの愛を人前で示してもらうことを望み、コーディリアの真実には自分の正体が暴かれる脅威を覚えたのだと。彼女が本当の愛を差し出すと知ったからこそ怯(おび)えた。従来とは真逆の解釈である。根拠のない世界をどう生きるかという「懐疑論」の問題が、世界の断念、愛の回避、認知の回避を強いる。『リア王』はその悲劇である。

 哲学と悲劇はアリストテレス以来手を携えてきたが、それは人生と舞台との不思議な重なりによる。『ハムレット』で鍵となる黙劇や、人生を「哀れな役者」と呼ぶマクベス。カヴェルは一歩進んで、懐疑論の生き方を解釈して具体的に示すのが悲劇だと考える。では、その悲劇を解釈する哲学者の試みは、一体何をもたらすのだろう。

 この冬、久しぶりにシェイクスピアを読みたくなった。「あるべきか、あらざるべきか」。時を超えて、読む醍醐(だいご)味を。中川雄一訳。

 ◇Stanley Cavell=1926年、米国生まれ。ハーバード大名誉教授。著書に『眼に映る世界』『哲学の<声>』。

 春秋社 4500円

読売新聞
2016年12月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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