少女の憧れからはじまった台湾の洋装化

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台湾少女、洋裁に出会う--母とミシンの60年

『台湾少女、洋裁に出会う--母とミシンの60年』

著者
鄭 鴻生 [著]/天野健太郎 [訳]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784314011433
発売日
2016/10/11
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

少女の憧れからはじまった台湾の洋装化

[レビュアー] 小泉和子

 私と台湾との関係といえば、自慢するわけではないが、台北にある総督府の會客室(メインホール)のインテリアを改装する際、指導したことである。陳水扁(ちんすいへん)が総統の時(二〇〇〇~〇八年)であった。脱蒋介石(しょうかいせき)化の一つだったのか、それまでの室内意匠を変えることになって、日本の家具室内意匠史を研究している私にお鉢が回ってきたのである。九族(台湾の原住民族。現在は政府が一六族を認定している)の文化を活かして欲しいと言われて、照明器具や暖炉やカーテンのデザインに、それぞれのモチーフを取り入れた。その後、日本統治時代のもので、戦後は総統らが乗り回したという御料車の調査も頼まれて、台湾の桃園県にある中原(ちゅうげん)大学の先生や学生たちと調査した。

 中原大学では家具室内意匠史の研究方法について集中講義をした。台湾にはまだこの分野がなかったので、日本での私の方法論を紹介したのである。

 ここからが『台湾少女、洋裁に出会う』につながるのだが、このとき驚いたのは、学生たちが何の抵抗もなく家具史を受け入れたことである。しかもこの講義が出発点となって、その後、家具史を研究する人が出てきて、いまでは文化財的建築の家具、インテリアの修理や復元に活躍していると聞く。

 日本とは大違いである。日本では家具史はまことにマイナーで、デザイン系の大学でも家具史の授業はない。これは日本が近代までユカ座だったことによる。身体に密着して使う椅子やテーブル、ベッドなどの家具を使ってこなかったので、家具というものに対し関心が薄くなってしまったのだろう。ましてや古い家具など粗大ごみである。

 これに対し、台湾はイス座だったから、もともと家具に関心が高かったのだろうし、また洋風家具が入ってきても生活様式自体に大きな変化はなかったため、抵抗がなかったのではないか。家具調査の際の学生たちの手慣れた扱いにも、このことを強く感じた。家具室内意匠史の研究を当然として受け入れたのは、このためだったと思われる。

 この本を読んで、まず頭に浮かんだのはこのことである。

 原題は『母親的六十年洋裁歲月(母の六十年の洋裁人生)』だという。「日本統治下の一九三〇年代の台湾で、日本の婦人雑誌に魅了された少女は、親の反対を押し切って洋装店の見習いになり、やがて台南に自ら洋裁学校を開校する。母が息子に語った"小さな近代史"」という惹句(じゃっく)にあるとおり、一九一八年に台南で生まれた施伝月(しでんげつ)が、自ら語った一代記を息子の鄭鴻生(ていこうせい)がまとめたものである。

 洋装化への道のりを、洋裁の視点から辿っていることが特徴だが、施伝月の洋裁人生と、台湾の近代史、さらに台南の街の移り変わりが、あたかもドキュメンタリー映画を見るように活写されていて面白く、私は一気に読んでしまった。

 これによると台湾で洋裁がさかんになりはじめるのは一九五〇年代で、洋裁学校が大繁盛するのは六〇、七〇年代、八〇年代に入ると既製服化が進んで、九〇年代には衰退してしまったという。若干ずれるが日本も同じである。

 さまざまな女性たちが、独立を目指し、あるいは内職のため、結婚の箔づけにと必死に学ぶ洋裁学校の様子も日本と変わらない。参考書も『装苑』や『レディ ブティック』などの日本の洋裁専門誌を使っていたという。

 たしかに写真で見る学生たちの洋服は、往事の日本とよく似ていてなつかしい。親近感をおぼえるが、しかし全体的には日本とかなり雰囲気が違うのである。まず着こなしが垢抜けている。そして堂々として、明るい。

 その点とくに瞠目(どうもく)したのは、本書中にある一九三一年に行われた施の従兄の結婚写真である。新郎がモーニングに白い蝶ネクタイ、新婦は純白のレースが美しいウェデイングドレス、列席者の四人の男性もそろって背広を着ている。これだけでも超ハイカラだが、驚いたのは親戚の少女たちが着ている「改良服」である。

 もともと台湾の女性は、膝丈の上着にズボンか巻きスカートを合わせる漢民族の大襟衫(ドゥアキンサー)か、満州族の袖(そで)が細く、裾(すそ)の長いチャイナドレスを着ていた。改良服は大襟衫を改良したのだというが、見たところ洋服と変わらない。そろって膝までのワンピースに白い靴下と白い靴で花束を持つ少女たちが並ぶ写真はじつにエレガントで、気品にみちて美しい。この従兄弟はとくにモダンだったというが、それでも普通の家である。一九三一(昭和六)年当時の日本だったら、よほどの上流階級でなければこんな格好はしていない。

 洋装も洋裁も日本から学んだとはいえ、台湾の方がずっと西洋風なのだ。洋服を怖れていないというか、どうも洋服を受け入れるときの感覚が日本とは違っていたように思える。

 このことは本書に通底する肯定的な姿勢とも無関係ではないだろう。日本統治下、日本を通じて洋服を導入した台湾だったが、台湾は独自の見識をもって受け入れていったようである。

紀伊國屋書店 scripta
winter 2016 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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