平成のモダンガール臺南を歩く

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平成のモダンガール臺南を歩く

[レビュアー] 淺井カヨ

 本書(『台湾少女、洋裁に出会う』)を片手に、臺北(たいぺい)と臺南(たいなん)へ出掛けることにしました。今の臺灣がどうなつてゐるのかをこの眼で見たいと強く思つたからです。本がきつかけで外地へ出掛けることに決めたのは、これが初めてです。

 出發の數日(すうじつ)前に、旅行サイトで航空劵を手配し、インターネットの畫像(ぐわざう)檢索で、近代建築を活用したホテルがないかを探し、臺北城大飯店(TAIPEI CITY HOTEL)と云ふホテルを見つけました。ホームページによると、一階から三階までは元々臺灣のパイナップル王と呼ばれた葉金塗のかつての邸宅(一九二九年完成)だと記されてをり、滯在先をそこに決めました。急に決めた臺灣行で、二泊三日の短い旅です。荷物は最小限で、初日は臺北へ、二日目は本書の中心である臺南へ、夜に臺北へ戻つて、三日目には東京へ歸ります。

 桃園國際空港に到着すると、生暖かい風が吹いてゐました。

 臺北城大飯店周邊には、日本統治時代の建物が多く殘り、表通りも路地裏も、くまなく歩きたくなりました。部屋に荷物を置いて、翌日は臺南へ出發します。鈍行列車でゆつくり出掛けたいところですが、日歸りの爲、臺北から臺灣高速鐵道(てつだう)で臺南へ參ります。

 ホテルから臺北驛(えき)への道すがら、朝市では食料品や雜貨などが徃來にずらりと賣(う)られ、とても活氣がありました。鷄、新鮮な野菜、氷の中からたくさんの魚が顏を出してゐる魚屋、臺南へ向けて一刻も早く出發しなければならないと思ひながらも、つい立ち寄りました。樣々な匂ひが混ざり合ひ、多くの人々が行き交つてをりました。搾りたてのジュースを飮んで、臺北驛に到着しました。高鐵の車輛は日本製で、乘つてゐるとまるで日本のやうでした。一一時過ぎに臺南驛に到着してタクシーに乘り、「林百貨」と書いたメモを運轉手に渡すと、すぐに目的地へ向けて出發しました。本書にも登場する林百貨(ハヤシ百貨店)は、昭和七(一九三二)年開店の百貨店で、臺南で一等訪れたかつた場所です。林百貨は、平成二五(二〇一三)年に、大規模な修復を經て蘇りました。林百貨が再開店したニュースは日本でも大きく取り上げられ、いつか必ず訪れたいと思つてをりました。

 タクシーの車窓から、夢のやうな百貨店が現れました。車を降りて、一階ドアから内部へ入つた途端、私は一瞬茫然とした後に、涙が滲(にじ)みました。あの時代の小規模百貨店の空氣までもが、見事に再現されてゐるかのやうでした。林百貨の再生に盡力(じんりよく)された臺灣の人々は、この建物に對して深い愛情があり、なるべく當時に近い形で再生することを目指したことが、内部へ入つて分かりました。先人に對する尊敬の念を感じました。

 近代建築を店舖として再生する際に、日本で時々見られる光景として、現代の意匠をわざと取り入れたり、内裝を現代風にしてしまつたり、どこかに現代を取り入れなければならないかのやうな仕樣が多過ぎて、辟易してゐました。此處(ここ)にはそれがありません。店内には、日本語の丁寧な説明があります。なるべく多くの日本人が、臺南の林百貨を訪れることを願つてやみません。

 モダンなエレベーターで五階まで行き、屋上から下へ向かつて店内を隅々まで歩きました。この百貨店を訪れるだけで臺南へ出掛ける意味が大いにあり、私は強く薦めます。寫眞や映像ではなく、實際(じつさい)に中へ入らなければ、この空氣は決して分からないでせう。一九二〇年代からヒントを得て製作されたビーズ・ドレスや釣鐘型のクローシュも店内で賣られてゐてなかなか素的でした。臺灣に平成のモダンガールがゐるのでせうか。

 林百貨を出て、南下した古本屋で臺南の觀光地圖(ちず)を貰ひ、本書の主人公が一九三〇年代に働いてゐたと云ふ今の中正路、末廣(すゑひろ)町の日吉屋洋裝店跡へ參りました。本書のあとがき通り、現在は東隆電器の建物になつてゐました。眼を瞑(つむ)れば、本書で紹介されてゐる記念撮影の情景が浮かぶやうです。隣の老舖料理店の「度小月」で食事をして、神農街、淺草新天地、赤嵌樓(せきかんろう)を訪ね、國立臺灣文學館(建立百年の日本統治時代の臺南州廳(しうちょう)へ參りました。國立臺灣文學館では、臺日交流文學展が開催されてゐて、一五〇〇年代から二〇〇〇年代までの臺日交流文學年表などが掲げられ、日本語の解説もあり、矢張り日本はもつと臺灣に眼を向けるべきだと強く思ひました。

 文學館を出て再度、夜の林百貨を訪れました。夜間照明の林百貨はまた違つた趣きでした。臺南の旅の締(し)め括(くく)りに、本書にも登場する米粉の茶碗蒸し「 阿全碗粿(アツワンワーゴエ)」を試してみたいと考へましたが、お店に到着した時間が午後六時で、ちやうど閉店でした。もう今日は終りなのだと傳(つた)へられて、また臺南へ出掛ける理由が出來ました。驅け足の臺南でしたが、本書に關する場所をいくつか見ることが出來ました。

 臺北へ戻つて、二四時間營業の本屋へ出かけ、深夜まで本を探し、翌日は飛行場へ出掛ける時間まで臺灣總督府周邊の建物を見ました。あつと云ふ間の臺灣への旅が終りました。

 本書は臺灣へ出掛ける直前に讀み終へました。夢中になつて一氣に讀みました。本を讀む前に、一九三〇年代に撮影されたと云ふ臺南郊外での表紙の寫眞を見て、直感で臺灣行きを決めたのです。

 私の祖母は大正三(一九一四)年生まれで、筆者の母である本書の主人公は、大正七年生まれですから、祖母の世代を意識して讀みました。主人公の從兄の結婚式でのウェディングドレスについての記述がありますが、私が二一歳の頃に大學を休學して英國の老人施設で住み込みで働いた時に、お世話をしたおばあさんの部屋に、本書のウェディングドレスとそつくりなドレス姿の若い頃の冩眞が飾られてゐました。考へてみたら、私が近代の洋裝に憧れを感じたのは、そのウェディングドレスの寫眞がきつかけの一つだと云ふことを再認識しました。

 本書に紹介されてゐる『婦人倶樂部』や『主婦之友』などの當時の婦人雜誌は、今讀んでもとても内容が濃く、現代の私も大いに參考にしてゐます。連載小説、實話(じつわ)、洋裁、手藝、料理、流行、惱み相談、廣告(くわうこく)、身のこなし方、結髮(けつぱつ)、他、文章もぎつしりと書かれてゐて、插畫(さしゑ)、冩眞もたくさん使用されてゐます。婦人雜誌の洋裁ページに魅了された主人公の氣持ちに大いに同調します。やがて洋裁學校を開いていく過程を讀み進めると、臺灣にとても素晴らしい近代女性がゐたことに深い感動を受けました。臺灣についても、女性の生き方を考へる上でも強くお薦めしたい一册です。

紀伊國屋書店 scripta
winter 2016 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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