『いまさら翼といわれても』
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累計205万部を突破 〈古典部〉シリーズ最新作
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
〈やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に〉がモットーの“省エネ”少年・折木奉太郎(おれきほうたろう)、名家のひとり娘で好奇心旺盛な千反田(ちたんだ)える、中学時代から奉太郎と親しい福部里志、里志に思いを寄せる伊原摩耶花(いばらまやか)。神山高校古典部に所属する四人が、不可解な出来事に遭遇する。『いまさら翼といわれても』は累計二〇五万部を突破した学園ミステリ〈古典部〉シリーズの最新作だ。
奉太郎はなぜ〈やらなくてもいいことなら、やらない〉と決めたのか。事件の真相究明が〈やらなければいけないこと〉に変わるのはどんなときか。シリーズ全体を貫く謎が解けるという意味で重要な一冊。生徒会長選挙の投票箱に大量の不正票を入れる方法を推理する「箱の中の欠落」など六編を収めている。
“省エネ”少年誕生の秘密が明かされるのは「長い休日」だ。ある晴れた日曜日、奉太郎はたまたま訪れた神社でえるに会い、稲荷の祠を一緒に掃除する。えるは奉太郎が手伝ってくれることに驚き、彼がやらずに済むことはやらないという方針を持つに至った経緯を訊く。小学生のときに花壇の水やり係をしていたというありふれた思い出話に、他人の痛みに鈍感な共同体の生贄になった少年の悲鳴が隠されている。社会に出ても彼と同じような状況に置かれている人は多いにちがいない。
奉太郎を動かすのは、集団のなかで存在を踏みにじられている人や、望まないことを強いられている人の声なき叫びだ。表題作では、ソロパートを任された合唱祭の本番前に姿を消したえるを探す。彼女を追い詰めたものの正体と、タイトルの由来がわかる結末は苦い。しかし〈一般的に良しとされる価値観〉に対する違和感を言語化するところ、奉太郎がえるの思いをわからないなりに必死で考えるくだりに救いがある。優しくて不器用な古典部の仲間たちと過ごす時間が、ますます愛おしくなる物語だ。