ただの「奇跡」じゃない 現代日本への新鮮な一撃
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
大震災後、友人の案内で陸前高田を訪ねた。中心街を歩いてそこにどんな店があったかを聞き、消えた街並に想像を馳せた。本書を手にしたのは、そのときに抱いた親しみからだった。
八木澤商店はその街に二百年以上つづいた醤油蔵である。醤油作りほど建物が大きな意味をもつ商売もないだろう。これは単に製造に使用する設備の問題ではない。その建物のなかに人間よりも長くいる住人、仕込み蔵や桶に棲みついた菌がいるからだ。それらがすべて流し去られた絶望的な状況のなかで、九代目・河野通洋(みちひろ)は再建を決意する。
以前に成分分析の申し出があって水産技術センターにもろみを提供したことがあった。それが災害現場から見つかるくだりは山場のひとつだ。でも、もろみさえあればいいというのではない。新しい環境でそれがどう働くかが読めない。しかも味は数値化できず、前の味を本当に再現できているかがわからない。それを再現できたと確信したときのエピソードは大きな感動を呼ぶ。
過疎化した街の将来は明るいとは言えなかったが、津波はそうした問題を飛び越え、人間がこの土地に住み着いたはじまりに押し戻してしまった。そういうとき、何が頼みの綱となるのか? 金ではなくて、人である。人がいなければ何もはじまらず、逆に言えば人さえいればなんとかなる。それを実践した河野の言葉が力強い。
「あなたでなければできない仕事だ、あんたがいてくれたから良かった、助かったっていうふうな人、いっぱいここから生み出していきたいんですよ」
働く場所をつくり出す人と、仕事を求める人がいて、社会は成り立つ。その関係が円満であれば、互いに感謝する気持ちが自然と生まれる。そんな当たり前のことが忘れ去られている現代日本への、シンプルながらも実にまっとうなメッセージと受け取った。