『その姿の消し方 = Pour saluer André Louchet:à la recherche d'un poète inconnu』
- 著者
- 堀江, 敏幸, 1964-
- 出版社
- 新潮社
- ISBN
- 9784104471058
- 価格
- 1,650円(税込)
書籍情報:openBD
今年はグッジョブ! 野間文芸賞
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
以前、当欄で「谷崎賞の歴史を振り返れば、戦後日本文学史の肝(キモ)的な傑作が押さえられる」と書きましたが、一九四一年創設と大変歴史が古い野間文芸賞の受賞作もまた、逸品揃いです。これは、講談社の初代社長の遺志によって設立された野間文化財団が主催する賞。
不思議なのが、活躍している作家にはほぼ授賞している同賞が、群像新人文学賞をとってデビューした(つまり、講談社出身作家ということ)超人気作家・村上春樹には授与していないこと。春樹は、野間文芸賞と同じ年に野間文芸奨励賞として設立されながらも戦後中断され、七九年に新しい名称で再スタートを切った野間文芸新人賞のほうは、八二年に『羊をめぐる冒険』(講談社)で受賞しています。なのに、中堅以上の作家の小説と評論作品に与えられる文芸賞のほうはとっていないんです。
タイミングが合わなかったということでしょうか。九五年に完結した『ねじまき鳥クロニクル』三部作(新潮社)が、出版業界雀のわたしなんかから見ると授賞には最適だと思えるんですけど、この作品は先に読売文学賞をとっちゃったんで、「講談社から出た作品でもないし、もう、いいんじゃね?」という空気が選考委員に蔓延したのかなあ。
そんなモヤモヤする春樹問題はさておき、今年の受賞作はといえば、堀江敏幸の『その姿の消し方』。トヨザキも大大大好きな作品なので、慶賀慶賀慶賀の至りなんであります。
語り手の〈私〉が、フランス留学時代に偶然入手した、差出人の名がアンドレ・Lで名宛人は女性になっている古い絵はがき。そこに記された〈ひどく抽象度の高い言葉の塊が、ぴったり十行に収まる詩篇〉に心惹かれた〈私〉は、以来、同人物の絵はがきを探すようになるのですが―。
とにかく、すべての文章が美しい。詩の意味や名宛人の女性の謎は最後までわからないままですが、むしろ、それがいい。謎が謎のままとしてある世界に、宙づりにされる気分が決して悪くないことを伝える、堀江敏幸の静かだけれど声量豊かな語り口に浸りたい一冊になっているんです。野間文芸賞、グッジョブ!