『砂漠の影絵』刊行記念 石井光太インタビュー

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砂漠の影絵

『砂漠の影絵』

著者
石井光太 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334911355
発売日
2016/12/14
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『砂漠の影絵』刊行記念 石井光太インタビュー

[文] 瀧井朝世(ライター)

――石井さんの小説第二作『砂漠の影絵』、もう夢中になって一気に読みました。エンターテインメント小説として見事ですが、題材は実際にあったイラク人質事件です。なぜこのテーマを小説という形で書かれたのでしょう。

石井 イスラム過激派組織による事件って、世界の構造を変えましたよね。それまでは国家と国家、軍隊と軍隊が戦っていたのが、9・11以降はテロ対国家という構図になり、少数の人がテロや人質を使って国家を動かすようになった。その歴史のエポックメイキングな変化を何らかの形で表現しておきたかったんです。でも、ずっとノンフィクションを書いてきたとはいえテロリストに会いに行って人質になるわけにはいかない。小説だったらテロリストの立場からも、人質の立場からも、それを批判する人たちの立場からも書けると思いました。

――物語の主軸は二〇〇四年、イラクのファルージャで日本人五人が“首切りアリ”が率いる武装組織に拉致された事件の顛末です。実際にあったどの事件が念頭にありましたか。

石井 最初は二〇〇四年の香田証生さんがザルカウィの組織の人質となって殺害された事件をモデルにするつもりでした。でも集団が捕まる設定のほうがいろんな関係が書けると思い、複数が人質になる話にしました。二〇〇七年にアフガニスタンで韓国のキリスト教の集団が拉致された事件や、チュニジアでの銃撃事件などが頭にありましたね。

――拉致された五人は一室に監禁され、心理的に追い詰められていく。そこで人間として醜い部分も見せるし、壮絶な場面もあります。

石井 五人のなかにジャーナリストは当然入れるとして、日本の企業の対応が書けるので商社マン、公務員はどう動くのかということで外務省の職員も出しました。恋人に会いにイラクに来た二十二歳の女性は、香田証生さんの立場に当たります。韓国人の集団が頭にあったので、クリスチャンでNGO活動をしている看護師の女性も出しました。いろんな立場を象徴する五人にして、重層的にしたかったんです。ノンフィクションだと実際の人物の言動をそのまま書くことしかできないけれど、小説上の人物の場合はうんと負荷をかけて、読者に「あなたならどう思うか」を問いかけられますから。

 それで連載第一回を書き、掲載誌の発売まで数日という時にイスラム国に日本人二人が拉致されたというニュースが流れたんです。それで、単行本にする際にプロローグとして現代の話を書き加えました。ザルカウィの残党がイスラム国を形成しているので、触れないわけにはいきませんでした。

――新たに取材はされたのでしょうか。

石井 これまでのノンフィクションの仕事で実際に行ったり、取材して得た知識が基になっています。たとえば最初のほうでタイ人の人質が殺される場面は、実際に殺されたネパール人がモデルです。イラク戦争の時のアメリカ基地では、働き手が足りないのでネパールなどから貧しい人を雇っていたんです。直接雇うことができないので間にインドやサウジアラビア、ドバイなどの会社をいくつも介在させ、給料も天引きしていた。で、そうした人たちが拉致されたら、彼らは見捨てたんです。それでネパール国内で反有志連合のデモが起きた。僕はデモがアメリカ大使館を囲んでいるところに居合わせました。

 パキスタンではペシャワールでタリバンと同じ民族の人たちに話を聞きました。彼らからすれば「ビン・ラディンのやったことはひどいけれどアメリカがやっていることはもっとひどい」。難民は難民でまた違うことを言うので、それらをまとめたくて、こんなに分厚い本になってしまいました(笑)。

――武装集団の動きが描かれるほか、アリが自らを語る声明も挿入されますね。パレスチナ難民の孤児である彼の生涯の物語も読み応えがありました。

石井 香田さんを殺害したザルカウィをアリのモデルにするのが自然なんでしょうけれど、彼の思想はともかく、ヨルダンで生まれ育ったその人生は、かならずしも中東全体の問題を象徴しているわけではない。それよりもっとアラブ人一般の考えを象徴する人物にしたかった。

 中東の問題の根底にあるのはパレスチナですよね。だからアリはレバノンでパレスチナ難民が虐殺された事件の犠牲者の子どもという設定にしました。後にアフガニスタンに行ったのはザルカウィと同じですが、アリにはアラブ人の多くが持っている反欧米感情をインプットしました。欧米がバックアップしてイスラエルが入植して以降、アラブ人たちは追い出され、それに対して文句を言うと殺されてきた。しかもさまざまな利権をイスラエルが持っていってしまう。欧米はそれを黙認している。アラブの人たちには、そこに対する怒りがあるわけです。

 普通に暮らしている人たちは不満を抱えながらも「平和が大切だよね」と言って大ごとにはしていない。でも社会からあぶれたり、イスラエルに家族を殺されたりした難民や孤児たちは我慢できる範囲を超えてしまい、それがテロに結びついている。特にパレスチナ難民二世三世が抱いている大きな矛盾は描いておきたかったんです。

――最初は恐ろしい存在だったアリも、生い立ちが分かると生身の人間に見えてくる。ただ、人は互いにとっての正義があまりにも違うから衝突するんだとよく分かります。

石井 そう、それぞれ生まれた土地によって、違う正義を持っているんですよね。本の中では人質の優樹が「日本もアメリカに叩かれたけれど黙っていた、我慢したから日本は繁栄した」というようなことを言いますよね。クサイにしてみたら「自分たちも耐えた、だから難民キャンプに行った。そうしたら虐殺された」ということです。「黙っていても殺されるんだったら損だ」となる。日本は運がよかったんです。パレスチナ難民だってタリバンの人たちだって、みんな最初は黙って我慢していた。にもかかわらず殺されたから立ち上がるしかなかった。彼らからするとそれはやむをえないことなんです。

――テロリスト側のパートはアリではなく部下のクサイの視点で描かれますね。また、少年・少女兵たちの存在も強烈でしたが。

石井 アリの視点で書くと客観性がなくなって、アリを慕っている人たちの気持ちが分からなくなってしまう。クサイの視点にしたほうが、彼らがなぜアリの突拍子もない命令に従うのかが伝わると考えました。

 少年兵には以前取材したことがあるんです。その時に思ったのは、これが日本だったら不良になる程度ですむということ。日本にはそういう悪のセーフティネットがある。でも彼らの国では社会からこぼれ落ちたら、簡単に少年兵になってしまうんです。ただ、ここでは可哀相な子どもだけを書くつもりはありませんでした。取材をしていると、殺人鬼でありつづけるのを願う子もいるんですよ。捕虜にして更生施設に入れて街に戻しても、施設を出たとたんに武装集団に戻ってしまう。社会からこぼれ落ちたところにしか自分が活躍できる場所がない、という人っている。それがこの世界の人間の面白さでもあるのかなとは感じています。

――テロリスト集団にも様々な人がいますよね。アリが率いる集団も一枚岩ではない。物語の最初のうちから副官ユニスが何やら企んでいるふしがあって、不穏ですよね。

石井 たとえば自由シリア軍にも、分派が無数にあるんです。戦争ってやっぱりきれいごとではなくて、ひとつの集団がひとつの方向に向かっているかというと全然そんなことはないんですよね。集団の中でも喧嘩したり分裂したり再統合したり何回も名前を変えたりして、入れ替わりも激しい。武装集団というと考え方が統一されたブラック集団というイメージを持つ人も多いけれど、全然そんなことはないんです。

 いろんな考え方や利権争いがあってひとつにまとまらないのは日本政府もそう。本当なら身代金を払って助けたいのに、なぜ助けないのかというと国際関係があるからです。

――その日本側のパートに関しては、商社勤務の人質、橋本優樹の夫妻の友人である新聞記者の白木奈々が視点人物になりますね。人質の家族の反応、マスコミの対応、沸き起こる「自己責任論」の騒ぎを彼女は目の当たりにすることになる。

石井 家族の視点だけでは狭くなるので外の目も入れたかったんです。両者を俯瞰できるのはメディアの人間ですよね。それと、あの時に自己責任問題が噴出しましたが、どの立場から見たら一番考えさせられるのかを考えました。家族が犠牲になるのも評論家が文句を言うのも想像がつく。じゃあメディア側はどう思っているのか。奈々には過去に取材で人を自殺に追い詰めたことがあり、自身もそれで一回病んでいる。その罪悪感を抱えながら、知人家族に対し自己責任だと言えるかどうか。言えないならどういう行動に出るのか。

 僕は、すべての人間が社会問題と関わり合いがあると思っています。虐待問題だっていじめ問題だって、同じ社会で生きているという形で関わっている。でも、「当事者がいけない」と言った瞬間、問題を自分から切り離せるんですよね。人質事件の時だって、デモをしたり国に訴えたりして活動することはできた。それが面倒くさい時、「あの人たちの責任でしょ」と言えば自分たちの責任が切り離されたように思えた。自己責任という魔法のアイテムを使うことによって、多くの人は責任回避しているんです。でも、「誰かのせい」というのはまさしく「自分のせい」ですよ。

――確かに。奈々は責任回避するどころか、なんとかして、どこかから身代金を捻出させようと一計を案じますね。

石井 今のイスラム国でもそうですが、フランスやドイツのように身代金を払ったという国がある一方で、日本のように政治的な関係でそれができなかった国もある。そうしたことを含めて身代金の交渉については書くつもりでした。ただ、金額の問題だけでなく、テロリスト側のタイミングもあるんですよね。ここではアリとユニスが対立して状況が変わっていくなかで、彼らが交渉に応じる時もあれば応じない時もある。本当に紙一重です。運命のいたずらとしかいいようがない。

――でも、もし助かったとしても、殺されてしまった人たちへの罪悪感は残りますね……。

石井 遺された人が罪悪感を抱くのは震災だけじゃないんですよね。こうした事件もそうだし、交通事故ですら遺された人たちは「気を付けて」と言わなかった自分を責める。そういう重みは絶対ある。香田さんのご両親も、背負っていかなければいけないものがあったと思う。この物語でも、生き残る人がいるとしたら重いものを背負うことになるのは分かっていました。

――香田さんの事件は、石井さんにとっても大きなものでしたか。

石井 あの時、ちょうど外国にいたんです。行く先々で「日本人が亡くなったよ」と言われ、ニュースを見た時に、一歩間違えたらこうなっていたなと、自分を投影しました。彼は年齢も僕と少ししか違わないし、僕も同じように外国をふらふらしていましたから。新聞社の記者だったら取材先で死んだことになる。でも僕や香田さんのような人間は、大志を抱いてそこに行っても、何かあれば自己責任だと言われるんだと思いました。

――もしも自分が捕まったらどう振る舞うだろうか、などと考えますか。

石井 今回、書きながらずっとそれを考えていました。僕は普段、冗談を言って笑っていたいタイプなので、強がると思う。それが精神のバランスを保つ方法なので。それと、伝達手段が限りなくゼロに近いなかで、何をどう残せるかも考えました。それで、この本にも書きましたが、もしも伝えられる手段があるならば、「彼らを恨まないでくれ」と言い残すだろうと思って。彼らも悪い人間じゃないなんていう奇麗ごとを言いたいのではなく、自分の死を正当化したいからなんですよ。自分の死を肯定したい、国際問題の中で意味を持たせたいという気持ちからです。実際は無駄死にかもしれませんが。

――さて、ここまで密度の濃い小説を書き上げてみて、今の感触は。

石井 小説のほうが達成感がありますね。ノンフィクションって、書いた後も、解決できないと目に見えていることも沢山あるけれども、物語はすぱっと終わらせることができますから。書き上げた感があります。

――石井さんは書くならノンフィクション、というこだわりがないですよね。今回とても面白かったので、今後完全なフィクションも書かれたらいかがでしょうか。

石井 こだわりはないですね。いわば人間オタクで、ある状況の中で人間がどう動き、考え、感じるのかを知りたいし、そこにある感動を人に伝えたいんです。だからノンフィクションでも小説でもいいんです。でも自分の場合、小説でもある程度事実に基づく題材を求められていますよね。僕がいきなりSFを書いたって誰も読まない(笑)。ただ、今後は一年に一本くらいのペースで書いていけたらとは思っています。

光文社 小説宝石
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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