受験で蒸発してしまった知識よ、今再び。赤本、青本より軽いです【自著を語る】

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史

『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』

著者
片山 杜秀 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784166611119
発売日
2016/12/20
価格
946円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

受験で蒸発してしまった知識よ、今再び。赤本、青本より軽いです

[文] 片山杜秀(評論家・思想史家)

――どうしてそんなにいやだったのですか。

片山 さあ、自分のことはよくわかりませんが、こんなことなのかなあと。個人的な話になって恐縮ですけれど、私は小中高一貫教育の私立学校で十二年間育ちまして、受験慣れしていなかった。中学受験も高校受験もしていない。しかしその間、苛烈な受験戦争の話は世の中に満ちているし、兄弟や親戚が受験で苦労しているのをそばで観ますから、もう恐怖症になってしまって。偏差値とか聞いただけで具合が悪くなってしまう。

 小学校受験はしたんですよ。幼稚園のときは塾に通いましたから。人生で塾や進学予備校のようなものに行ったのはそのときだけで。軽井沢に籠もる小学校受験対策用特別合宿にも幼稚園最後の夏休みに行きました。一九六九年の八月でしょう。わたくし、同年四月二十八日の夜に都心で「沖縄反戦デー」の騒乱状態、機動隊と学生の激突を間近で目撃しまして、火炎ビンを本当に投げて道の真ん中で燃えるんですよ、これに衝撃を受けまして、わたくしの個人史では相当に大きいことなのですが、それからほぼ三カ月ちょっとして軽井沢の合宿だったということになります。一週間くらいだったか。いや、四泊五日でしょうか。もちろん親は付いてきません。家庭と完全に切り離されて集団生活です。まだ満五歳ですよ。しかも行楽ではないのですから。朝から晩まで入試シミュレーションです。かなりつらい。今思うとちょっとありえない。高原を歩かせられて毒虫に刺されて足や腕が腫れてしまって。よく覚えています。

 けれどもそこで具体的に何を勉強して受験に何か役立ったのかとなると、まったく記憶にございません。欠落しています。私の場合は小学校受験で燃え尽きたのではないですか。だから合格したら解放されてその前の勉強を忘れてしまった。虫に刺されたことと薬を塗っているときの様子とかね。宿舎の部屋で旅客機のプリントの入ったシャツを畳んでいるところとか。そういう勉強以外の箇所はいろいろ覚えていますが、肝腎の受験勉強については空白です。もう二度と入試は御免だと思ったのでしょう。六歳で安心して燃え尽きたんですね。その先はずっと遊ぼうと思う。そういうものの考え方にとらわれて高校生まで来ていたと思います。趣味最優先。人生の指標はこれしかなかった。とにかく二度と入試は嫌だという思いと、でも当時置かれていた環境からすると大学進学放棄という選択はしにくいという思い。この二つの思いが複合して高校生の私をああいう行動に向かわせたのでしょう。

 だから大学受験生が合格して燃え尽きて勉強の中身をたちまち忘れることがあるとすれば、それは私も小学校受験のことを思い出せば自分なりに分かるつもりですし、そう考えないと理解できないこともあります。というのは、私は大学で「近代思想史」や「政治学」や「歴史」など、広い意味での歴史にかかわる講座をいろいろ受け持ってきましたが、学生さんの歴史の知識がですね、受験で歴史の勉強をしてきた人も多いはずなのに、そういう手応えを感じない。もともと学んでいない人は仕方ない。が、学んだはずの人もだいぶん忘却している。受験勉強で得た知識は合格すると蒸散しまう。楽しい知識として定着しない。だとしたら、自分のことを棚に上げて申しますと、やはり残念なことです。

文藝春秋BOOKS
2017年1月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

文藝春秋

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク