綿矢版『細雪』にひびく多声 江南亜美子

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手のひらの京(みやこ)

『手のひらの京(みやこ)』

著者
綿矢, りさ, 1984-
出版社
新潮社
ISBN
9784103326236
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

綿矢版『細雪』にひびく多声 江南亜美子

[レビュアー] 江南亜美子(書評家)

 谷崎潤一郎は『細雪』で、京阪神間に住まう蒔岡シスターズの生活のさまを微細に描きだした。四姉妹は服装についてとりとめなく意見を交わし、三女は縁談に恵まれず、旧家はしだいに没落していく。戦時下に検閲の目を逃れながら書き継がれ、戦後になって正式刊行された『細雪』は、表面だけ追えば「なにも起こらない」物語だが、小さなエピソードの集積と人物造形の妙で大長編を駆動していく谷崎の手腕には、思わずうなりたくなる巧さがある。

 その『細雪』を彷彿させるのが、綿矢りさの『手のひらの京』である。こちらは、三十一歳で図書館職員の綾香、社会人一年目の羽依、大学院で生物化学を研究する凜の、奥沢シスターズの日常と意見が描かれる。三姉妹は京都市内に両親と同居し、物語の冒頭では凜が五月の鴨川の風に吹かれている。以降、まるで歳時記に沿うかのように、京都のさまざまな行事や四季によって異なる表情を見せる風景が物語を彩っていく。これまで出身地である京都を舞台にした小説をほぼ書いてこなかった綿矢が、満を持して、京都らしさの最大級の演出とともに読者の期待に応えたのがこの作品といえるだろう。

『細雪』で姉妹が超保守的な長女から現代的で恋にひた走る末っ子まで、わかりやすく異なる性格を帯びていたように、本作の三姉妹も三様だ。たとえばモテる女である羽依は、入社してすぐ上司の前原とちゃっかり交際する。女性社員たちの「自分アピール」を冷ややかに観察し、前原の八方美人ぶりに毒を吐き、その一方で自分と前原は薄情さにおいてよく似ているとの自己分析も得意とする。いわばこれまでの綿矢作品におなじみのタイプだ。対して長女の綾香は結婚に焦りを抱きながらも、祇園祭にもひとりで出かけるマイペースなタイプ。凜は物静かでセンシティヴだが、京都という場所に〈なんて小さな都だろう〉〈ここが好きだけど、いつか出て行かなきゃならない〉と違和感をつのらせ、就職を機に町を出ることを密かに画策している。

 そんな彼女たちの心情が、縷々、読者に明らかにされるのは、全体としては三人称多元ながら、章ごとに姉妹それぞれに憑依するかのように語り分けていく(三人称一元的で、ときに一人称混じりの)、独特のナレーションが使われるからである。

〈私、男の人の髪の毛って、けっこう好きだったんだなぁ。長すぎるのはいやだけど、前髪がまったく無いのって風情に欠ける。男にとっても、髪は色気やないかしら。

 京都市役所前のバス停で宮尾さんとバスを待ちながら、こんなどうでもいい、とりとめのないことを考えてしまうのは、綾香がひさしぶりのデートに極度に緊張しているせいだった〉

 慎重で臆病な綾香は、底意地が悪くて自意識過剰ぎみな羽依と、とうぜん男性観も経験値も異なる。緊張のあまり、相手の髪型について延々と考えを巡らせるのが綾香なら、羽依は〈いるよなぁ、年下の理想像のふりするのだけが上手い、爽やかでデキるお兄さんを演じてるタイプの男って〉などと、会社仲間とバーベキューに興じる前原の本質をずばっと看破してみせる。そんな姉妹のそれぞれの心内に、語り手は自在に距離を縮めたり離れたりを繰りかえし、ぐいぐいと迫る。よって読者は、姉妹のうち誰かには、(性差を超えて)自分と近しい感覚を覚えることになるだろう。こうして物語世界に引き込まれていくのである。

『細雪』同様、本作も過度に大きな起伏の物語が姉妹を待ち受けるわけではない。殺人もなし。しかしタイクツとも無縁であることは請けあいたい。五山の送り火や納涼床といった、いかにも観光客が好みそうな京都らしい風物詩が描かれる一方で、綾香が祇園祭では串刺しになった鮎の塩焼きを出店で食べるのだと固執したり、凜が観光地化されていない場所の野性的な紅葉は葉先に赤が凝縮していると感じたりするのだが、こうした細部の描写にこそ、凡百の京都案内書にはないリアルな京都の町の匂いや手触りや季節の移ろいが表れている。〈花弁と呼びたくなるほど美しい葉先は繊細に尖り、柔らかい印象はない。心にある形の何かに似ている。痛み、憧憬、羨望〉。

 絵葉書じみた京都と、手垢にまみれていない清新な京都を、併せて織り込んでいくバランス感覚は、綿矢がこれまでのキャリアで培ってきたものであろう。モノローグでなくポリフォニー的に姉妹たちの声が世界を満たしていく語りは、本作ならではの試みで、非常に効果的である。それは、この年の奥沢シスターズにとってもっともショッキングな出来事、前原による羽依の軟禁事件を描く際によくみえる。

 梅川と羽依の仲をやっかむ前原から呼び出された羽依は、八時間部屋から出られず、彼のトイレの隙に裸足で逃げ出すことになる。さすがの羽依もこの恐怖体験は、姉に涙ながらに語らずにいられない。普段おっとりした綾香が庇護者となる「関係性の反転」は、それまで姉妹の結びつきが立体的に描かれてきたからこそ、さもありなんと思わされる。しかし羽依はやっぱり羽依らしく急速に立ち直り、心に燃えるはリベンジの一念。仕込んだのはかつて前原と付き合った女性からの告発で、その爆弾を適切なタイミングで爆発させた羽依は、意気揚々と前原に勝利宣言するのだ。が、肝心の梅川は引き気味。羽依は改めて、梅川との価値観のずれを認識するのである。

 長女に訪れる恋の喜び、次女をおそう失恋の予感、三女の何もなさ! 凜が保守的な両親と向き合い、この地との別れを決心するのが物語のもうひとつの起伏なのだが、彼女の心理描写は、羽依のどたばたコメディタッチとはがらりと変わり、しっとりとしたムードに包まれる。蛍という名の父親との関係を描くエピソードはどこか切ない。こうして、話題とムードを同調させつつ、全体のトーンをコントロールする語りの巧さで、綿矢は読者を倦ませずに最終頁まで誘っていく。

 作中に〈京都の伝統芸能「いけず」は先人のたゆまぬ努力〉とあるが、読者が求める綿矢らしい「いけず」さも十分に持ち込みつつ、全体としては京都の三姉妹の暮らしぶりを繊細に描き切ったのが『手のひらの京』である。これを綿矢版『細雪』と呼ぶのに躊躇いがあろうか。綿矢の京女としての矜持が作中の京都を美しく息づかせている。

新潮社 新潮
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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