ラストの“宣言”が胸に残る 注目の芥川賞候補作
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
表題作は芥川賞でも注目され、「日系移民文学」と向き合う点でも重要な作品だ。主人公は日本語を解さない米国の日系三世。併録の編「半地下」のこんな言葉が目をひく。「英語が自分の中の日本語を追いつめ、日本語が自分の中の英語を追いつめる。〈中略〉英語と日本語の戦う戦場が僕だった」
温又柔『来福の家』や崔実『ジニのパズル』など、自らのルーツや言語的なアイデンティティの断裂と揺らぎをテーマにした新鋭の秀作が目立つ。「カブールの園」の「レイ」は少女期には「仔豚(ピギー)」と綽名(あだな)され、教室の床に這いつくばって打たれる凄絶な屈辱を経験した。この虐めに彼女の東洋人の外見や出自は無関係ではない。ITベンチャーを起業した今も、トラウマ治療を受けている。休暇で訪れたのは、日系一世の祖父母が戦中に「米国への忠誠」と「従軍」を拒んで入れられたマンザナー強制収容所だ。レイの母はそんな愛国者の祖母から逃げ、レイもまた母から逃げた。しかし彼女は目を背けていた日本と日本語に対峙していく。
途上のロスで出会うのが、移民文芸誌『南加文芸』だ。「伝承のない文芸」と題する随筆が日系一世と二世の隔絶を悲痛に物語る、一九七四年刊の号。七〇年代といえば米国で、前述のような敵性収容者を描いたジョン・オカダの『ノーノー・ボーイ』が、移民一世に対する二世の憎しみ交じりの複雑な感情を表現する新たな文学として再評価された時期だ(日本でも最近新訳が出た)。それでも随筆の筆者は「(米国での日本語文学が)アメリカの発想を変えて行くエレメントにならないとはいえない」とも書く。なんと杳々(ようよう)たる遅効性の切ない言葉であることか。レイの開発する音楽ソフト「トラック・クラウド」が瞬時にあらゆる音と言葉をリミックスするのと、鮮烈な対照をなす。
世代の最良の精神はどこに宿る?最後の宣言は軽やかに放たれるがこのうえなく重い。