『明治維新という幻想』
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西郷さんはなぜ着流し姿に?
[レビュアー] 林操(コラムニスト)
歴史、特に近現代史は原発とよく似てて、常に諸説紛々だわ、どの説にも政治が絡むわ、ときどき爆発するわ、声高に語る皆様の口は臭いわ。願わくば避けて通りたい面倒分野なのに、「暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像」なる剣呑な副題の新書を紹介する気になったのは、まず読む快楽の大きさ、そしてイデオロギー臭の薄さゆえ。
維新ヨイショへの反駁の書は数多く、最近では松下村塾一門をテロリスト認定した原田伊織の『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)もあったけれど、今回の森田健司『明治維新という幻想』で際立つのは、徳川の治世に花開いた庶民文化への著者の愛。石田梅岩の心学などの研究者だけに、自ら所蔵する幕末の錦絵から読み解く江戸の町人の維新観は最初の読ませどころです。
一方、文化隆盛の基盤たる平穏平安を守ろうとした慶喜および三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)と、過剰に好戦的だったり専制に走ったりした維新の三傑(木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛)との対比は中盤以降のクライマックス。西南戦争で朝敵に転じた西郷が口髭・軍服の陸軍大将から着流し・犬連れの「上野の西郷さん」に化けた理由の絵解きも、たとえば司馬遼太郎とは違って面白い。
維新が革命にも似た大転換であった以上、暴虐をあげつらうのはフェアじゃない―なんてツッコミがワタシにはできないのは、維新、敗戦に続くような転変が始まってるように思えて震えてるせいかなぁ。