〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

対談・鼎談

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しんせかい

『しんせかい』

著者
山下, 澄人, 1966-
出版社
新潮社
ISBN
9784103503613
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

■何かが更新されて書かれている

保坂和志氏
保坂和志氏

保坂 僕は、山下さんが小説を書き始める前から、主宰の劇団「FICTION」の芝居も観てきたから、山下さんがやろうとしていることを一番理解しているのは僕だと思ってきたし、こうして話している今もその気持ちに変わりはないんだけど、最新作の『しんせかい』(新潮社刊)を読んだときは、「ああ、全然わかっていなかったな」と感じたんです。
 でも、そう感じることはこの作品に限ったことではなくて、遡ればデビュー作『緑のさる』の時からその繰り返しでした。僕は『緑のさる』のいわゆる整合性がつかない箇所――関西人ではない人物が突然関西弁を話しだすようなところ――を山下さんに指摘したことがあったけど、後々、そんなことを気にすること自体にまったく意味がないと気づかされたんです。山下さんの小説には「こういう小説は二、三作書いたら終わりじゃないか」と感じさせるところがあるのに、現実にはこうして次々と、しかも毎回何か、その何かは全然わからないんだけど、何かが更新されて書かれていることに、今回もあらためて驚きました。

山下 ありがとうございます。二〇〇八年に保坂さんに初めて観ていただいた芝居のタイトルも、『しんせかい』でしたね。小説とはまったく違う内容でしたし、同じタイトルにしたことに特に意図はありませんが。

保坂 山下さんは二十年ほど前に劇団を立ち上げて以来、三十本以上の芝居を作っていますが、芝居のタイトルをそのまま小説にあてた作品は、他にも「トゥンブクトゥ」や「ディンドンガー」など、いくつかありますね。小説には作品の中身がわかるタイトルをつけるのが一般的だけど、そもそも山下さんの小説に「説明がつく」ということはなくて、僕が山下さんのタイトルからいつも受け取っているのは、その意味ではなく、大きさなんです。「あ、そっちを見ているのか」という感じ。
『しんせかい』は、山下さんが十九歳の頃に倉本聰の演劇塾「富良野塾」で過ごした記憶をもとにしているわけだけど、富良野で過ごしたのは、もう三十年も前のことですね?

山下 ええ。一九八五年からの二年間で、随分昔のことですから、いざ書こうとしても、ほとんど何も思い出せなかったんです。頑張って思い出そうと、覚えていることを書き出してみたりもしましたが、「え! これだけしかないんや……」と、自分でも驚くくらいの少なさでした。だから、ここに書かれていることは「当時を思い出して」というよりも、「ほぼ捏造した」と言ったほうが良いかもしれません。

保坂 僕は昨日、ある大学のキャンパスに行きましたが、それは四十二年ぶりのことだったんです。最寄駅からの道を『しんせかい』のことを考えながら歩いていたら、駅の改札を出るとすぐに大学の正門があったと思ってたり、校舎がわりと平らだと思ってたり、向こう側に東京タワーが見えるというのを全然忘れてたり、……まったく覚えていないものだなって感じていたところです。

山下 一方で僕は、保坂さんの新しい短篇集『地鳴き、小鳥みたいな』(講談社刊)を読みながら考えていたんです。この本に収録された「キース・リチャーズはすごい」で、サザン・オールスターズを聴いた主人公のなかに鎌倉で暮らした子供時代の記憶が押し寄せてきたのと同じように、僕にも「富良野」と聞けばワッと思い出す「気分」のようなものがあります。だけどそれを追いかけても具体的な出来事というものはほとんど見つからなかったな、と。先日も、富良野で一緒に生活していた人が『しんせかい』を読んで「そういえばあの時にこんなことしたよね?」って連絡をくれましたが、「それは僕じゃないのでは?」という感じで、自分の記憶のなさに未だに愕然としています。

新潮社 新潮
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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