〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

対談・鼎談

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しんせかい

『しんせかい』

著者
山下, 澄人, 1966-
出版社
新潮社
ISBN
9784103503613
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

■世界と人間の関わり方を変えたい

保坂 山下さんの小説には、人物の表情やしぐさ――脚本で言えばト書きにあたるもの――が描かれてないけど、それらがどうして読む人に伝わるかは、山下さんの朗読を聞くと良くわかる。たぶん、そこには芝居の訓練が生きていて、本当に面白くて、飽きない。そしてそれは、山下さんが小説を書くときの呼吸そのものでもあるんです。

山下 小説を書き始めたばかりの頃、「演劇的ですね」との感想をもらっても、どこがそうなのかがさっぱりわからなかったんです。でも、自分の小説を初めて朗読した時に、俳優をやっていたことと小説を書くことはここで繋がっているのかも? と感じたことはありました。

保坂 僕が前作『壁抜けの谷』を読んだ時にはもう、朗読を聴かなくても、途中から山下澄人独特のイントネーションも含んだ語りが頭の中に流れ始めたんですよ。そうすると、こういうふうに書いたら、普通は意味が掴めないと思うところも、自然に意味が伝わってきた。
 たとえば、スミトは役者を目指す塾生たちの前で「ブルース・リー」と答えて笑われるんだけど、僕にはもう「ブルース↓リー↑」と言った抑揚が聞こえている。

山下 そういうこと! これまでは「よくわからない」と言われても、どこがわからないのかがわからないという感じだったんです。では、読み聞かせたら全部をわかってもらえるんですね。

保坂 山下さんのに限らず、小説にはそういうことがあるんです。僕の小説も、一部の読者からは「静かな小説」と言われたり、「保坂さんは思慮深くて物静かで、小説を書く前には毎日、家の中をきちんと整理をしてから始めるんでしょう?」って勝手な想像をされたこともあったんだけど(笑)、そういう人たちには読めていないんです。たしかに人を殴ったり殺したりはしないけど、本当はものすごく騒がしい小説であり騒がしくて落ち着きがない人だ、ってことが。
 僕の妻は『源氏物語』を古典の高校教師が京都弁のイントネーションで朗読するのを聴いたら、するっと理解ができたらしいんです。だから書き手には耳で聞けばわかるように文章を書く人とそうではない人がいて、でも小説を論じるときにそういうことはほとんど問題にされないでしょう?

山下 そうですよね。

保坂 僕は一つ、山下さんと出会って話をするうちに、すごく反省したことがあるんです。ブルース・リーの映画が初めて日本で公開されたとき、僕は高校生で、仲間の五、六人で観に行ったんです。ふだん映画を観ないタイプの奴らは、映画館を出た後「アチョー!」って盛り上がってたけど、僕は「すごくつまらなかった」と思ってた。以来、ブルース・リーの映画に対する印象は変わらなかったんだけど……。

山下 そうそう、保坂さんが「あれは映画としてどうよ」と話すのを初めて聞いた時は驚きました。「保坂和志たるもの、なんちゅうことを言うのや!」と(笑)。
 ブルース・リーは、彼をよく知らない人からはアクション俳優だと思われているけれど、本質的には武術を通した思想家なんです。彼にとって映画は手段にすぎなくて、自分の動きそのものを見せたいがために映画を作っているから、主眼を置くのはアクションシーンだけで、筋はどうでも良いものだったんです。

保坂 そう。だから、彼の映画を筋で見ていて、身体の動きそのものに目を奪われることがなかった自分はダメだって(笑)。

山下 面白いのは、撮影が難しいアクションシーンは普通はカットを入れながら撮るけど、彼の場合は全篇ではもちろんないですが、基本的に固定カメラで通しで撮っていることです。すべては流れのなかの動きだから、割ったら駄目。というか割らずに撮れた。それがものすごいことなんですが。だから僕は小説や音楽も、すべてそうだと思っていて……。

保坂 山下さんの小説もそうだね。線を引いたりメモをとったりせずに、ワーッと一気に読むのが一番面白い。

山下 『地鳴き、小鳥みたいな』を読んでいて、保坂さんにとっての特別なギタリスト、デレク・ベイリー、あるいは音楽って、僕にとっての何に置き換えられるだろう? と考えたんです。音楽には詳しくないけど、でもそれはもしかしたらブルース・リーないし格闘技ではないかと思ったんです。身体を使って行われる何か。
『しんせかい』のスミトは、ブルース・リーになりたいと思って【谷】に行きましたけど、そこには演劇の「え」の字もなくて、傍から見たらただの馬鹿だと思います。【谷】には大学できちんと演劇を学んでからやってくる人たちもいるなかで、僕がそれまでにしてきたことといったら柔道だったり、空手だったり。でも、そもそもの始まりが「ブルース・リーになりたい」ですから、僕にとっては演劇をやることも、小説を書くことも、あまり違いがないんです。だって、やりたかったことは、映画のなかでヌンチャクを振り回すようなことだから。

保坂 そう。目指しているものはもっとずっと遠くにあるんだよね。枠を外すとか、流れを割ってはいけないとかって、本当はどうだっていいことなんです。上手く書こうだとか、褒められたいとか賞をとるとか、そんな小さいことのために書いているわけではなくて、言葉と人間の関わり方を変えたい。そして世界と人間の関わり方を変えたい。つまり世界を変えるために書く。

山下 そうですね。世界を変えるために書く――、そこに繋がるような考え方がなかったら、僕は小説なんか絶対に書いていません。目先の利益のために動けるほど僕は勤勉ではない。小説を書くことが目的じゃなく、小説でやりたいことがあるから書いている。それがちょっと雲をつかむようなことだからこそ頑張ろうと思えるし、保坂さんのように同じ気持ちで書いている人がいることは僕にとって大きな希望で、だからこの先一文無しになったとしても、「ま、いいや」と思えるんです(笑)。そういう瞬間の、「ヒュッと風が吹く」ような気分というのは僕にとって何物にも代え難いんです。

保坂 ボブ・ディランが『風に吹かれて』を発表したときに、欧米人は「The answer is blowin’ in the wind」が何のことやらわからなかったらしいんです。でも、僕たちはわかるじゃん? そうだって思うじゃん? だけど、わからなくなっちゃった人たちも多い。小説を読むぞ、芝居を観に行くぞ、って改まれば改まるほど、そういうことがわからなくなるんです。

(2016・10・14)

新潮社 新潮
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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