あの事件のもどかしさととことんつきあう
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
昨年夏、神奈川県の障害者施設で起きた殺傷事件。死者の多さや、凶器が刃物であり殺意が直接的・肉体的にぶつけられている点も衝撃的だったが、容疑者の「思想」が不気味だった。
この事件は、人を黙らせてしまう。うまく語れないし、むりに語ると言葉が空転する。人間存在の根本にかかわる重大事は、直接にすっきり言い当てる言葉がないのだ。周辺をぐるぐる回りながら中心に接近するしかないので、もどかしい。しかしこのもどかしさととことんつきあいながら、問題のありかを解きほぐそうとしてくれる本が出版された。
著者のひとり立岩真也は、事件そのものや容疑者については論評せず、「障害者殺し」や「優生思想」の系譜をたどりなおす。今回の容疑者の「思想」(社会の役に立たない人間は殺してよい)が報道されると、それに共鳴したり支持する発言もあちこちで見られたのだが、それはなにもこの事件に特異的な現象ではなく、昔からあった考え方だ。入手可能なあらゆる文献から「障害者殺し」と「それへの抵抗」の系譜をたどりなおす力技に、ひとまず身をゆだねてついていく。立岩はこうした難問を考えるときのすぐれたメディア(媒体)であると思う。
いっぽうの杉田はこの事件を、近年勢力を増してきたヘイト的な空気(たとえば在日コリアンに対する)が、ついに障害者に対する優生的な暴力と合流してしまったととらえ、容疑者もまたこの時代を生きる者のひとりとして呼吸していた「ジェノサイドを醸成しつつある空気」の正体にせまろうとする。安易に結論に飛びつかず、高みからものを言わず、ひたすらがまんの構えだが、この問題がいかに難しくても「わがこと」として考えつづける意志を強く静かに表明している。
読みにくいと思ったかたはふたりの対話の章を最初に読めば、少しは楽に入っていけると思う。苦労しても、読む価値のある本です。