超人的な日々が綴られた伝説の登山家、最期の日々
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
一九七五年、世界初の女性エベレスト登頂者となった田部井淳子は、これもまた世界初の女性七大陸最高峰登頂者でもある。七〇歳を超えても現役のアルピニストで、言うなれば登山家のレジェンド、憧れの人であった。
訃報が届いたのは二〇一六年一〇月二二日。二日前に亡くなっていたと聞き、驚いた人も多かったのではないだろうか。一か月前には自身の喜寿のお祝いを銀座で開いて歌声を披露し、半月前にはラジオにも出演していたのだ。
まさに生涯現役を貫いた一生であったと思う。
『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋)では初期の乳がん治療の後、腹膜がんが見つかり余命三か月を宣告されたが、幸いにも抗がん剤が効いて一命を取り留めたことが書かれていた。最近まで東北の高校生を連れた富士登山や講演会、コンサートなど精力的な活動が報じられ、がんは克服されたものだと信じていた。だが脳に転移が見つかっていたのだ。本書ではその予兆として登山中に左目の上にキラキラと光るものが見え、喋るときに言葉が詰り出したことを挙げている。最先端医療を受けると決断し、仕事のスケジュールを優先させつつどんな治療にも前向きに取り組む姿勢は驚異的だ。元気な姿の裏には家族の協力を含め、途方もない忍耐力が隠されていた。再発のことは家族以外に知らせず、まわりにも気づかせないよう周到な準備を重ねていた。
本書は死の二年前から綴られた闘病日記である。だがそこには、生活の中に登山があり、登山の合間に治療を行うという超人的な日々が記されていた。抗がん剤の副作用に苦しみながら、インドネシアのスマトラ島最高峰に登頂を果たしたのが死の五か月前。笑顔の写真がステキだ。
最終章は夫が最後の日々を語っていく。全てを委ねた夫へ、乱れた文字で綴った別れの言葉が胸に沁みる。享年七七。ご冥福をお祈りする。