『ひきこもれ』
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【文庫双六】花田清輝との論争相手と言えば…――梯久美子
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
花田清輝はさまざまな作家、評論家と論争を繰り広げた人で、そのもっとも有名な相手が吉本隆明であるらしい。らしいと書いたのは、その時代をリアルタイムで知らず、かつ、その後もそうしたことにはほぼ関心を持たずにきたからだ。
そんな私が旧知の編集者に頼まれて吉本隆明の本の聞き書きをすることになった。2002年のことで、テーマは引きこもりだった。
その仕事は『ひきこもれ』という本になった。最初にお宅に伺ったときは不安と緊張でいっぱいだったが、インタビューは楽しく、また話題も広がって、その後さらに『超恋愛論』『13歳は二度あるか』という本も作らせてもらった。
毎回、話が一段落すると、家の方がケーキを出してくださる。吉本さんは糖尿病をわずらっていたので、私と編集者だけである。何となく遠慮して手をつけないでいると、いつも「あのー、それ、召し上がった方がいいと思いますよ」と言ってくださった。やや早口の下町言葉で話す人だったが、こういう時はちょっと照れたように、つっかえながらおっしゃるのが常だった。勧める吉本さんの方が遠慮しているような、独特の含羞の風情を思い出す。
いつも穏やかだったが、戦闘的だった頃の面影が見え隠れすることもあった。
「波風の荒かった時代、ある大学でしゃべっていたら、野次を飛ばして、こっちの話をことごとく妨害する奴らがいたんです」
吉本さんは壇を駆け降り、一番激しく野次っている男の胸ぐらをつかんだそうだ。ところがそのとき、そばにいた女子学生が「知識人が暴力をふるうとは何事ですか」と言った。
「その言葉を聞いた途端、ぼくはショックを受けて、思わず手を引っ込めました。そして壇に戻ってその場を収めてしまったんです」
後になって、「ちきしょう、やればよかったな」と思ったそうだ。『ひきこもれ』にも出てくる話だが、その言い方が本当に悔しそうで、いまも耳に残っている。