<東北の本棚>仙台藩玉虫の夢と挫折
[レビュアー] 河北新報
「竜」とは、幕末の仙台藩の例え。大藩でありながら、戊辰戦争では大きな働きはできなかった。なぜか? 悲運の最期を遂げた仙台藩士、玉虫左太夫の生涯を追った600ページ超の本作を読み、仙台藩の負の遺産を見た思いだ。
左太夫は藩鷹匠頭の子として生まれ、俊才と言われた。末子の七男であり、才能を開花させる場がない。だが、江戸へ出て学び、やがて幕府外国奉行に見いだされ、日米修好通商条約の批准書交換の遣米使節の一員として渡米する。
米国では驚きの連続だった。水夫と士官は役目上のことであって、仕事を離れると友人と同じだった。航海中、水夫が病死すると、葬儀に艦長が出て哀悼の意を表した。ワシントンで大統領に会う。「入れ札(選挙)で選ばれている」。当時の日本では考えられぬ制度だった。
幕末の動乱は、仙台藩に及んだ。帰国した左太夫は会津藩救済に動き、奥羽越列藩同盟成立の実務を仕切った。しかし作戦会議で、戦略を披露しようにも「分をわきまえよ」と藩幹部に制せられる。身分が低いことから重臣たちの恨みを買い、米国帰りが、煙たがられた。
江戸時代は、全体が身分制社会であった。中でも仙台藩は、特殊な身分制度を取っていたことを指摘しておく。藩祖伊達政宗は攻略した敵の将兵を次々と自らの陣営に迎え入れた。膨張する家臣団を維持するため、藩は伊達氏の血縁、有力家臣を一門、一家、一族などに分けた厳しい家格制度を敷いた。血筋による序列が何百年と、幕末までも続いた。
共和制の米国を見た左太夫の描いた夢は、公論に基づく新しい国づくりであったはずだ。しかし藩内の派閥抗争に巻き込まれ、ついには反佐幕派に処刑される。享年47歳。厳しい家格制度の前に、左太夫の夢は葬り去られた。
著者は1959年大阪府生まれ。時代小説で活躍、著書に「孤闘 立花宗茂」など。
講談社03(5395)5817=上・下各1728円。