• ローレンス・ブロック傑作集 1 (おかしなことを聞くね)
  • 失敗の本質 : 日本軍の組織論的研究
  • 東京裁判 上
  • カッティング・エッジ
  • 魔術はささやく

書籍情報:openBD

宮部みゆき 書評「階段の途中に」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

[レビュアー] 宮部みゆき(作家)

 小説家は優れた作品に出会った時、何を考え、どう行動するのか――。宮部みゆきさんの日常生活を垣間見ることができる貴重なエッセイです。

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 某月某日
 ローレンス・プロックの短篇集『おかしなことを聞くね』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読む。アル中探偵マット・スカダーもので有名な人――という程度の認識しかなかった作家ですが、いやあ、巧い、巧い! おみそれしました! という感じで、寝る前に一篇だけ読もうとページを開いたのに、もう一篇、もう一篇とひっぱられ、結局、朝まで読みふけってしまいました。表題作は、昔どこかのアンソロジーで読んだ記憶のあるものでしたが、はき慣れてちょうどよくなってきた中古のジーパンを売ってしまうのはどんな人間か、という些細な疑問を抱いた青年がトンデモナイ目にあわされるというお話。収録作のどれをとっても水準を軽くクリアした面白モノばかりですが、特に印象に残ったのは、ラストの一行で思わず膝を叩いてしまう『あいつが死んだら』、短篇でも立派にサイコ・ミステリが書けるのだというお手本を示した傑作『アッカーマン狩り』、あまりにもブラックなお話でありながら、お腹かかえて笑わされてしまう『我々は強盗である』。そして、最後に収録されているマット・スカダー出演の『窓から外へ』。トリックとしてはわりとありふれたものなのですが、犯人を割り出したあとのまとめかたが、憎らしいほど巧い! 「要するに、あんたは高いところに住んでるってことなのさ」というスカダーの台詞がきいているのです。読後、二重丸つけて、この短篇集は、わたしの別格本棚(超お気にいりの作品だけのための本棚)に納まってもらいました。最近、とみに忘れられがち(というより、誰よりも本人が忘れかけている)なのですが、わたしは短篇デビューのミステリ作家でして、短篇に対する思い入れというか愛憎半ばする感情というのは、かなり強いものがあるのです。それだけに、こういう上質の短篇集にぶつかると、ショックも大きい。ぼんやりしてちゃいけないなぁと、反省するのであります。

 某月某日
 深夜に再放送されているのをビデオに撮っておいた『刑事コロンボ』を、まとめて観る。『アリバイのダイヤル』『ホリスター将軍のコレクション』『二枚のドガの絵』の三本。どれも、昔NHKで放映されたときに観た記憶のあるものばかりですが、あらためて楽しみました。『ホリスター』は、設定は面白いけれど謎解きがちょっと肩透かし。でも、あとの二本はやっぱり傑作。というのも、このふたつは、コロンボ人気が最高潮だったころ、当時中学生だったわたしの頭に、もっとも強い印象を残した作品なのです。そして、観なおしてみて気づいたのは、どちらも鮮やかなファイナル・ストライクものであったということです。とりわけ、『ドガの絵』のほうの、ユニークな決め手。この手は、ほかのミステリ作品のなかでは見かけたことがないように思います。それともうひとつ、再放送を観続けていて思うのは、『刑事コロンボ』は、倒叙ミステリというよりも、むしろ「はめ手ミステリ」と呼んだほうがいいほど、はめ手ものの傑作が多いということ。だから、ズルくて嫌なんだとか、あれでは法廷で有罪にもっていくことができない、などの意見も出てくるのでしょう。それにしても、レビンソン・リンクのゴールデンコンビは、このころは良い仕事をしていました。
 ビデオぼけで寝つかれないので、布団にもぐりこんでから『失敗の本質 日本軍の組織諭的研究』(中公文庫)を読む。先に弁解しておきますが、わたしはこの本がとても好きで、再読三読しているのです。ただ、やはり少しばかり内容の堅い本なので、ちょっと注意力の落ちているときなどに読むと、実に効き目のある眠り薬になるのです。というわけで、熟眠。

 某月某日
 二週間ほどかけて、休んだりやめたりしながら読んでいた『東京裁判』(中公新書)を読了。そのあと、レンタルビデオで『ビートルジュース』を観る。我ながら、なんというばらばらな趣味なんだろうと思いますが、まあ、いいや。

 某月某日
 起き抜けにボケッとしながら、来年初めてやらせていただくことになった地方紙の連載小説(時代もの)のことを考えていたら、ひょいとタイトルを思いつく。『天狗風』。伝奇もの風の捕物帳なので、おお、実に良いタイトルではないかと、一人ほくそえみながら駅前の商店街までトコトコと買物に行く。内容は――まだ真っ白でゴザイマス。
 昨年末まで住んでいた街には、蔵書五万冊というスーパー古本屋があったのですが、引っ越してきたばかりのこの街には、残念ながらそういうものがありません。つまんないなぁと思いつつ書店に寄って、新潮文庫の新刊『カッティング・エッジ』を買う。デニス・エチスンの力の入った序文を読むと、英米の作家たちにとって、ホラーの書き下ろしアンソロジーというのがどれだけ大きな発表媒体であったかということが、よくわかります。
 この手のアンソロジーに限っては、わたしはけっして一気読みをしないことにしています。美味しいチョコレートを食べるときのように、ちょびちょび齧る。それに、ホラーのアンソロジーや短篇集は、一気に読むとどっと疲れてしまいます。
 お昼前に仕事場に戻り、昼食をとりながら、衛星テレビで再放送されている『風の隼人』を観る。原作は『南国太平記』。これも、昔観て面白かったので、ワクワクしながら毎日楽しみにしている番組です。
 仕事時問でも、わたしはテレビをつけっぱなしにしています。ですから、小和田雅子さんが今日はどんなコートを着ておられるかな、などということも、たいてい知っております。というわけで、普段からあまり集中力がないところにもってきて、この日はうらうらと暖かく、つい居眠りなどもしてしまったりして、とうとう、三月下旬に出る短篇のゲラ直しをするだけで終わってしまいました。

 某月某日
 日中は自宅にいて、本の整理など雑用を片付ける。ぼつぼつ、確定申告の準備もしなくてはなりません。
 夕方から、拙著『魔術はささやく』の文庫化の打ち上げのため、新潮社を訪ねる。和食の美味しいお店で、出版部のMさん、Nさん、文庫のAさんのお三方と、「人と故郷」という話で大いに盛りあがる。下町生まれのわたしは、どうしても隅田川を越えて西側には住むことができないし、長年杉並に住んでおられるMさんは、逆に東には来ることができないという。Nさんは、昔住んでいた街で、夜、帰宅するためにバスを待っていて、ああここには住みたくないと、何か非常に根源的な嫌悪感みたいなものを感じて引っ越してしまったという話をする。岐阜県生まれのAさんは、東京近辺ならどこでも住めますよと発言。でも、ふるさとの岐阜では、やはり、相性のあわない街があるとか。それぞれに、こだわりがあり、根っこみたいなものがどこかにあるのだという話で、実に興味深かった。話はそのうち小説談義になり、わたしはやっぱり基本的にはホームドラマを書きたいんですなどと話しているうちに、昔テレビで観た向田邦子さんのドラマ『蛇蠍のごとく』のワンシーンを思い出しました。所帯持ちの男性と恋に落ちた娘をめぐってのドラマなのですが、怒り狂って反対し娘を責める父親と、それに反発する娘、ふたりのあいだでオロオロしている母親の三人が、二階建ての住まいの一階の茶の間で激しい口論をしているとき、二階の自室にこもっていた娘の弟が、こっそりと部屋を出てきて、階段の途中に腰かけ、そのやりとりをじっと聞いている――という場面です。そして口論が一段落すると、彼はまたひっそりと自室に引きあげて行く……。
 向田さんの素晴らしさは、この弟に、階段を降り切らせず、口論に割って入ることもさせず、ただ階段の途中に座らせ、話を聞かせたところにあると、わたしは思う。そして、自分もあの弟のような存在でいたいし、ああいう場面を書くことのできる作家になりたいと思うのです。
「階段の途中に座っているというのは、ひとつの作家魂の表れ方かもしれませんね」というMさんの言葉を、よくよく胸にしまいこんで、この日は、少しばかり勇気凜々で帰宅したのでありました。

新潮社 波
1993年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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