【文庫双六】ひきこもりの日々「力」になった本は――北上次郎

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【文庫双六】ひきこもりの日々「力」になった本は――北上次郎

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

 吉本隆明『ひきこもれひとりの時間をもつということ』のような明確な考えがあったわけではないが、結果として、半ばひきこもりの状態だった日々が、私にはある。

 なぜあれほど、人と会うのが苦痛だったのか、後年になって考えたことがある。「本当の自分」を知ってもらいたかったのだ。誤解されたくないのだ。ところがその「本当の自分」がどういうものであるのか、当人にもわからないというのが最大の問題で、結局はひたすら疲れて帰宅することになる。たまに外出した日は眠れなかった。頭ががんがん痛むのである。疲労が脳を直撃するのだ。

 だから外には行きたくない。で、部屋の中で本を読むことになる。当時はSFに熱中していた。遠い未来の話、遠い星の話、がよかったのかもしれない。SFは当時の私にとって、何といえばいいのか、実感にいちばん近い言葉を探すなら、「力」だった。クレメント『重力の使命』、オールディス『グレイベアド』などの傑作群はいまも忘れないが、そのころ読んだSFで一冊選ぶなら、アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』だろう。

 異星人のファーストコンタクトを描いた長編だが、異星人がなかなか姿を見せないのがよかった。感動的なSF長編である。私たちの星にもいつか宇宙船がこうして出現するかもしれない。そう思ったりした。

 あのまま何事もなければSF少年としての日々を送っていたに違いないが、1969年にイギリスからニューウェーブが我が国に上陸する。あれにはびっくりした。その特集がSFマガジンで組まれたことを思い出す。私にはまったくわからなかった。SFがこんなに難解なものになるのならもう私には無理だ。SFから離れることになったきっかけはもう一つ。SFマガジンに連載していた伊藤典夫のコラムが翌年に終わったことも大きかった。あれから46年、私はいまだにSFに復帰できずにいる。

新潮社 週刊新潮
2017年2月23日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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