徳川家康

『徳川家康』

著者
笠谷 和比古 [著]
出版社
ミネルヴァ書房
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784623078691
発売日
2016/12/10
価格
3,850円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

徳川家康 笠谷和比古 著

[レビュアー] 渡邊大門(歴史学者)

◆腹黒イメージを拭う指摘

 重厚な研究史がある徳川家康の生涯に果敢に挑んだ一冊である。著者は近世史研究の泰斗で、とりわけ家康の問題では、家康の源氏改姓問題、関ケ原合戦、大坂の陣などで大きな成果をあげ、本書でもそれが生かされている。

 豊臣恩顧の七将が石田三成を襲撃した際、伏見屋敷の家康に助けを求め逃げ込んだ有名な逸話があり、小説にも書かれている。それは家康の伝記『岩淵夜話(いわぶちやわ)』に誤って書かれたもので、実際には三成が伏見の自邸に逃げたことが明らかになったが、右の逸話が独り歩きしたことを指摘している。

 関ケ原合戦では、去就を迷う小早川秀秋が陣を置く松尾山に家康が鉄砲を撃つよう指示し、驚いた秀秋が西軍に攻め込んだ「問鉄砲」の逸話がある。近年、「問鉄砲」を否定する見解が提示されたが、著者は根拠史料を示したうえで反論を試みている。今後、さらに検討が進むことを期待したい。

 著者のもっともオリジナルな学説は関ケ原合戦後も豊臣公儀と徳川公儀が並立して存在したという、二重公儀体制である。二重公儀体制は戦後の軍事的なバランス、いまだに秀頼に心を寄せる豊臣系大名の存在を考慮し、実現した共存路線であった。そして、二重公儀体制が破綻したことにより、大坂の陣が勃発(ぼっぱつ)したと著者は指摘する。

 家康は加藤清正ら豊臣恩顧の大名が次々に亡くなると、自身の生きているうちに豊臣家を滅ぼそうと考えた。そこでタイミングよく起こったのが、秀吉の遺志を継いで秀頼が造営した方広寺の鐘銘事件である。著者は家康の謀略説や僧侶・崇伝の関与説を否定し、あくまで原因は意図的に「国家安康」という家康の実名を引き裂いた非礼にあるという。これを契機に、家康は悲願である豊臣家の討伐に乗り出す。

 このように本書は、最新の研究成果に基づく新しい見解を随所に披露している。また、従来の腹黒い家康のイメージを払拭(ふっしょく)してくれる。家康を知るための必読の一冊となるだろう。

(ミネルヴァ書房・3780円)

<かさや・かずひこ> 1949年生まれ。国際日本文化研究センター名誉教授。

◆もう1冊 

 安部龍太郎著『家康(1)自立篇』(幻冬舎)。信長と同盟を結び、三方ケ原で信玄に大敗するまでを描く。五巻構想の大河小説第一巻。

中日新聞 東京新聞
2017年2月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク