『蹴爪』
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「闘鶏」を軸にフィリピンの島の閉塞した村世界の不穏さを描く
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
フィリピンの島と欧州の島を舞台にした新鋭作家の作品集だ。
表題作の舞台は、顔見知りばかりで、気安さと息苦しさが同居する村。閉塞した小世界をかけめぐる出所不明の噂、くすぶる悪意、やり場のない怒り、煽られる不安、なし崩しになる望み……それらが水面下に渦巻き、空気は不穏さを増していく。どこか、ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』のムードを彷彿させる。
島ではほぼ唯一の娯楽として闘鶏が盛んで、「ボラン」とは闘鶏が足に付けるナイフのような武器のこと。落ちこぼれの少年ベニグノ、成績優秀だが凶暴な性格の兄、闘鶏場の胴元の父、村の裕福なリーダーの娘、島に二人だけいるよそ者たち……。
村に悪魔よけの「祠(ほこら)」を建てる話を縦軸に物語は進んでいく。そこにからむ横軸は、闘鶏がらみのもめごと、頻発する地震、連続斬殺事件……。しかし村は土着の文化や慣習を擁しつつ、グローバル化の波も確実に被っており、ベニグノは、スマホを操り西洋化していく彼女を複雑な思いで見つめる。対立する二世界の衝突音も絶えず背景に鳴り響く。
ラープチャルーンサップの「闘鶏師」という短編を思いだした。負け戦の無茶な闘鶏をやる父に対して、本当の強さとは何かと問い、母は子に「外地にかぶれていくと、おまえはいろんなものをなくしてしまうよ。優しさだったり、弱い心だったり」と言う。人々はアジア的な柔らかさを失っていく。
「蹴爪」でも強さは弱さに、弱さは強さに転換される。あるとき祠が地震で倒れ、いきおい不吉な空気が漂いだすと、人々は不安に蝕まれる心の弱さから、だれかを悪人に仕立て、噂が噂を呼び、ベニグノの父はリンチにあう。舞台はフィリピンだが、ここは貧しくて前近代的な別世界ではない。もちろん現代日本が二重写しになっている。
サッカーを題材にした「クイーンズ・ロード・フィールド」併録。