日中の近代史を書き換える試み

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真実の満洲史

『真実の満洲史』

著者
宮脇 淳子 [著]/岡田 英弘 [監修]
出版社
ビジネス社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784828417080
発売日
2013/04/24
価格
1,870円(税込)

日中の近代史を書き換える試み

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 どどーんと景気のいい地図が、この本の48頁に載っかっている。「日本の最大勢力の及んだ範囲」を示した地図で、北はアッツ島、満洲から、南はガダルカナル島、蘭領東印度まで。つまり昭和十七年時点での大東亜共栄圏を誇る地図である。この地図を指して、著者は言い放つ。
「日本もこれくらいのものを教科書に載せないでどうするのかと言いたいです。大日本帝国はこれほど広かったのです」
 近隣諸国の歴史の押しつけに立ちはだかり、文科省や史学界に対し、ラディカルな挑発がなされている。
 モンゴル史の専門家である宮脇淳子による、満洲という厄介な地域の歴史を語り下ろした本書は、1894年から1956年までを取り扱っている。この二つの年号は、日清戦争の開始からシベリア抑留の終了までを指す。東の島国が、東アジア並びに世界史にインパクトを与えた「大日本」の時代の歴史であり、それは清朝(中国)やロシア(ソ連)との覇権争いと、その敗北による「小日本」への退場の歴史でもある。
 アジアをめぐる近代史は、「敗者」日本にとっては、負い目のある歴史である。著者は該博な知識でそこをゆさぶるから刺激的だ。
「日本が戦前、日韓併合をしたり満洲国をつくったりしたことを、現地に『負い目』があるという人がいますが、私は、『負い目』ではなく『責任』がある、と考えるべきだと思います。(略)私たちが理想を抱いて開拓した土地が、その後どんなふうになっているかを、私たち日本人はずっと見続ける、ウォッチする義務がある(略)、なぜなら、私たちは一度そこを日本にしたからです。責任を取るというのはそういうことだと思います」
 この西欧の旧宗主国のような義務感は、どこから生まれてくるのだろうか。世界史への日本の登場をプラスに評価する点、勝者の視点のみで押し通す中国の歴史の筆法への疑問、中国や西欧列強の満洲に対する無知と誤解など。そして何よりも、満洲国(満洲帝国)という日本の傀儡国家がかつて実在し、満洲史は「日本の近現代史でもある」という事実があるのに、「偽満洲国」という中国の一方的認識を、日本人が容認したことへの不満であろう。
 戦前、三省堂から出ていた『新撰・満洲事情』という満洲の中学生用教科書がある。一般にも市販されていたこの教科書(昭和十一年版)を読むと、満洲の歴史は中国史の一部としてではなく、満蒙民族の歴史として記述されている。現代史部分は「日本の満蒙進出の特異性」を認め、日本にとって都合のいい歴史が展開する。その部分は眉に唾して読むにしても、「満洲史」の戦前の常識がここには語られていて、満洲という地が近代国家間のグレーゾーンだったことはわかる。
 そうした戦前の「常識」に立脚して、満洲史、ひいては日本の近代史、中国の近代史を書き換えようというのが著者の狙いなのであろう。
「私自身の考えでは、満洲と台湾、朝鮮を含めて日本史として扱うべきだと思います。台湾と朝鮮は一度、日本領であったわけですし、満洲は日本ではありませんでしたが、影響のある傀儡国家にして、多くの日本人が国づくりを手伝ったのですから」
 元気が出る歴史、大国の襟度という度量を見せる歴史を書く。その意気や壮とするも、実際に書くとなると、いろいろと困難がともなうことだろう。語り下ろしのためか、勇み足から夜郎自大になっている点も散見される。
 たとえば、日本人開拓移民が漢人農民の土地を奪ったという事実について、「現地の人といっても日本人より一世代前に入っただけの人たちです」とあっさり与えられる免罪符。「満洲での日本人のもめ事といっても、だいたいが日本人となった朝鮮人が起こしたものです」という宗主国的差別意識。これらをきっちり克服できない限り、残念ながら、元気の出る歴史が書き上げられることはないであろう。これでは、著者が「日本の反省点ばかりが書いて」あると批判する山室信一『キメラ――満洲国の肖像』を凌駕できないのではないか。
 満洲国はなぜ理想の国家になれなかったのか。満洲国を肯定する立場に立つ人々にとって、それは痛みをともなう問いかけである。『満洲問題の歴史』の伊東六十次郎は、漢民族固有の領土である山東省の権益を保持しようとした大隈重信内閣の二十一か条要求と田中義一内閣の山東出兵を問題視した。満州会発行の『満州』で、古海忠之(総務庁次長)は関東軍の満洲国であったことを、平島敏夫(満鉄副総裁)は溥儀担ぎ出しが誤りの第一歩だったと述懐している。『真実の満洲史』で著者は、「万里の長城の北側だけで我慢」せずに、「支那事変を起こした軍人はやはり頭が悪い」と、昭和十二年に分岐点を求めている。
 福田和也の『地ひらく――石原莞爾と昭和の夢』は満洲事変を完璧に演出して満洲国建国に導いた「天才」軍人思想家の評伝だが、読んでいて唯一気がかりな点があった。それは、天皇の統帥大権を犯して事変を起こしながら、石原たち当事者の軍人が誰一人満洲に留まることなく、内地へと栄転していったことだ。甘粕正彦のように履歴にキズもつ者が残り、満洲にスピンオフする覚悟を誰も持たずに満洲が建国されたことに、日本の近代史の悲しさがあるのではないか。
 地図の話に戻ると、『もういちど読む山川日本史』に大東亜共栄圏地図に似たものが掲載されている。それは「太平洋戦争要図」で、連戦連敗で日本の領土が狭まっていくさまが描かれている。

新潮社 新潮45
2013年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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