ルーツをめぐる旅の醍醐味

レビュー

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いちまき : ある家老の娘の物語

『いちまき : ある家老の娘の物語』

著者
中野, 翠, 1946-
出版社
新潮社
ISBN
9784104193028
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

ルーツをめぐる旅の醍醐味

[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)

 それは亡き父の遺品整理から始まった。幕末から明治の時代を生きた曾祖母の手記が見つかったのだ。手記を読むうちに、著者は一族の歴史への興味を抑え切れなくなる。ゆかりの地を訪ねていくうちに、まるで祖先に操られたかのような縁を感じ、ますますルーツ探しに熱が入っていく。その姿が実に丁寧に描かれている。

 他人のファミリー・ヒストリーなんて読んで何が面白いんだという思いもあったが、何しろ“あの”中野翠さんの新境地のノンフィクション。彼女にとって憧れのライターが三宅菊子さん(本書にも登場する)だったように、若い時代の私にとって文章で身を立てている人の象徴でもあった著者は憧れだった。最近は、NHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」を観て、思わず感涙してしまうこともあったではないかと自分に言い聞かせ、手にとってみた。

 読み始めると、まるで大河ドラマみたいに歴史上の人物が次々と登場する。井伊直弼、大村益次郎、西周……。著者の高祖父・木村正右衛門が戊辰戦争で敗走する姿も歴史ドラマとして生き生きと活写される。そして著者の筆は過去と現在を自在に行き来し、ルーツ探しの旅でのさまざまな発見を、素直に描写する。

「まさか、この私がルーツ探索の文章を書くことになろうとは」と著者本人は書くが、読者としての私も「まさか私がファミリー・ヒストリーを夢中で読むなんて」と何度も感じながら一気読みしていた。先祖が関宿藩の江戸家老だった著者のファミリー・ヒストリーほど波乱万丈ではないだろうが、自分がルーツ探しをしたらどんな物語が現われ出るのか、ワクワクさせてくれる感覚は味わえるはずだ。

 ルーツ探しを続けている中で著者は、思わぬところで未知の同業者と遠縁の関係にあることが判明し、そこから交友を深めていく。そんな「新たな出会い」という副産物があるなら、私も毛嫌いせずルーツ探しとやらをやってみたいと思わせる一冊だった。

新潮社 新潮45
2015年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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