『ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯』
[レビュアー] 石井仁志(メディアプロデューサー)
■現代を読み解く格好の鏡
「崩れ落ちる兵士」。仕事柄、何度もこの有名なキャパ作品を見てきた。そのたびに、繰り返される戦争の悲惨さ、人の愚かさを心に刻みつけられた。この作品がキャパの恋人ゲルダ・タローの撮影だったかもしれない、ということを認識したのはいつの頃からか。しかも戦闘のさなかに撃たれて倒れゆく兵士、ではなくやらせ的な場面かもしれないともいわれる。
この本を通読するまで、ゲルダに対する知識は薄いものだった。スペイン内戦を取材中に事故で早世した報道写真家。彼女の本名ゲルタ・ポホリレも、新鮮な響きだった。キャパの主導で彼女の仕事があったと思っていたが、本来の彼女は、どうもキャパという写真家を創り出した企画者、共通の目標をつかみ取るためのパートナー。戦争取材においては、むしろ彼女の積極性はキャパを凌駕(りょうが)していた。
ゲルダは明朗快活で知性に恵まれていた。女性、共産主義者、ユダヤ人、というその時代に生きる上で最も過酷な十字架を、その先に垣間見える死をも冷静に見据える勇気を持ち合わせていた。そして何よりも自由を愛していた。
読み進むうちに、1930年代の歴史が21世紀初頭、ここ現代の地球にベールのように覆いかぶさってくるような奇妙な感覚に襲われた。精緻に取材を行い、積み重ねた独自資料をうまく提示、ゲルダを取り巻く多くの人間たちを、ここまで整理して、かつ人物像を明確化したのは、著者イルメ・シャーバーの努力の成果だ。日本版の章立ての工夫は伝記全体のリズムを整え、テンポを創り出した。
結果として個人の生涯研究である本書が、歴史のうちにひそむ虚実、ズレや誤謬(ごびゅう)、微妙な空気感や時代の匂い、真実を雄弁に語りだした。読みながら、われわれの未来の地球をどす黒い戦火や薄汚れた大気、取り返しのつかない放射能で覆い尽くさないように、人類は英知を結集しなければならぬことを、再確認できた。ゲルダ・タローという人間像が、今、われわれを映し出す一枚の鏡となって蘇(よみがえ)ったといえよう。(イルメ・シャーバー著、高田ゆみ子訳/祥伝社・2100円+税)
評・石井仁志(メディアプロデューサー)