『夫婦善哉 正続 他十二篇』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
【教養人のための『未読の名作』一読ガイド】夫婦善哉 [著]織田作之助
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
甲斐性のないぐうたらな亭主と、しっかり者の女房。日本のドラマによくある組合せは本作から始まると言っていい。
昭和はじめの大阪が舞台。西鶴の世話物を受継いでいる。庶民の生活模様を可笑しく、切なく描く。昭和十五年の作。日中戦争下だが軍国主義からはほど遠い。戯作者、織田作の反骨独創が冴える。
蝶子は貧しい家の娘。自ら望んで芸者になった。安化粧品問屋の息子、柳吉と馴染になり、一緒に暮し始める。
柳吉は妻子を置いて家を出た。父親からは勘当された。蝶子よりひとまわり上だがまったく生活能力がない。蝶子に頼る。甘える。気のいい蝶子はヤトナ芸者(宴会で客の相手もする仲居)になって柳吉に尽す。ひとかどの男にしたい。
しかし、柳吉は何をやっても駄目。剃刀(かみそり)屋、関東煮(かんとだき)屋(おでん屋)、果物(あかもん)屋、カフェ。どれも長続きしない。たまに金があると女遊びに浪費する。怒った蝶子が「折檻」すると「ヒーヒー」言って逃げまわる。笑わせる。
どうしようもない男だが、根は善良だから憎めない。「うまいもん」に目がない。と言っても「下手(げて)もの料理」ばかり。当世風に言えばB級グルメ。
蝶子を連れてゆくライスカレーのうまい自由軒と、法善寺横丁の汁粉(しるこ)屋、夫婦善哉は実在。本作で有名になった。
柳吉は料理好きでもあり、山椒昆布を二昼夜かけて煮つめる。こういうところはまめ。料理の好きな男に悪人はいないと、蝶子だけではなく読者も思う。
文章は気取りがなく軽やか。町名や職業名、そしてものの値段を細かく書き込むのが特色。戦時下の空疎な思想や御大層な言葉より日常の細部を大事にする。
とりわけ大阪の町名を細かく書いてゆくのは、私見では、東京の地誌を作品に生かした永井荷風の影響だろう。
岩波文庫版には生前未発表の続篇が入っている。二人は別府へと移る。他の短篇も大阪の下層庶民の暮しが描かれる。
昭和三十年に豊田四郎監督で映画化。森繁久彌の柳吉と淡島千景の蝶子が絶品だった。森繁が最後に言う「頼りにしてまっせ、おばはん」はあまりに有名。