学びを超えた知的エンターテインメント

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学びを超えた知的エンターテインメント

[レビュアー] 成毛眞(書評サイト〈HONZ〉代表)

 のっけから著者に反論申し上げたいことがある。出口さんは「まえがき」で、「積み重ねられた歴史を学んで初めて、僕たちは立派な時代をつくれるのではないか」という。つまり本書は良き未来を創りあげるという目的のために、テキストとして読むことができると言っているように聞こえるのだ。

 たしかに歴史から学ぶべきこと、いや本書から学べることはあまりにも多い。それは歴史だけでなく、生き様や人間関係、組織経営に至るまで、読んでいて気付かされることが多いのに驚くばかりだ。

 しかし、本書は時代をつくるという崇高な目的のためだけのものではないように思われるのだ。いやそれ以上に、純粋に読む愉悦に浸ることができる本だと断言できる。これからの時代を考えることはひとまず脇に置いて、早く次のページを開きたいと思わせる本。本書は高度に知的なエンターテインメントでもあるのだ。

 本書を読むときのイメージは「人類5000年史」という名前が付けられた、一辺が100メートルほどの体育館のようなものがあって、その中をツバメになって自由に飛翔するという感覚が近いように思う。底面には世界地図、側面に5000本の年代ラインが描かれた巨大な立方体があり、空間には農政史、出版史、経済史などと名付けられたさまざまな色の帯が縦横無尽に舞っている。そしてその帯には重要な人名や制度などの短冊が無数に付けられている。その中を自由自在に、しかも高速で飛び回るという感覚だ。

 この感覚は本書が「ですます」体で書かれていることが鍵になっているからかもしれない。出口さんは京都大学で「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義を担当していたことがある。当時の参加者からお聞きしたところ、まったく何の参考文献も持たずに、きわめて詳細な歴史を、正確な数字をあげながら、じつに柔らかい口調で講義されていたという。語られる歴史に聞き入る前に、まずは講演者としての出口さんのすごさに唖然としたと教えてくれた。

 本書の持つ不思議な空間感覚は、まさに出口さんの頭脳の中の広大な空間を投射したものだからではないのだろうか。II巻には参考文献がなんと500冊近く列挙されている。その中では全集なども一冊として扱われている。

 それでも出口さんが読んだ本のわずか5%でしかない。この膨大な知識と見識、そして世界1200以上の都市を旅したという体験と感覚が、言葉となって迸り出たのであろう。

 その結実として本書のなかで、読者はじつに歯切れの良い文章に出くわすことになる。

「中華思想とは、結局、漢字の魔力だったのです。漢字が広まって初めて周の歴史を読んだ人が、中華は立派であると勝手に思ってしまった」

「国家独自の異端審問制を確立したスペインの偏狭なイデオロギーが、スペインの経済を破壊したのです」

「産業革命がなぜグレートブリテンで起きたのか。それは産業革命が、インドのまねをすることから始まったからです」

 これらのじつに興味深い歴史的事実が断片としてではなく、前後左右上下に繋がって一冊の本に仕上がっているのだ。

 長年蓄えられていた横溢する知識を披露するいっぽうで、出口さんは少年時代にかえって歴史を紐解くこともする。中学生のときに、アレクサンドロス(大王)についての「一〇年間戦争をして、インダス川まで行きました」という記述を読み、10年も戦争していたら兵士もかなり減っていたはずなのに、どうやってインダス川で戦ったのだろうと不思議に思ったというのだ。

 多くの子供たちがテストのためのいわば雑学として聞き流していた史実を、あたかもその時代の当事者として受け止め、それを知るために何冊もの本を読み漁った出口少年は、ついに答えを見つけている。

 そこで本書のもう一つの読み方を提案しておきたい。本書は5部21章で構成されている。親と子が1章を1カ月かけてじっくり読むのはいかがだろうか。手元に世界地図を用意する。判らない言葉が出てきたらすぐに検索できるようにパソコンも準備する。その時代を背景とした映画を選んでおいてもよいだろう。親も少年時代にもどって、子どもと一緒に学ぶのだ。来年の秋には読み終えることができるだろう。やがて、子どもは出口少年のように素朴な疑問を持つかもしれない。その答えは未来を作る子どものなかにあるはずだ。

新潮社 波
2016年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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