奇異譚とユートピア 長山靖生 著

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奇異譚とユートピア 長山靖生 著

[レビュアー] 巽孝之(慶應義塾大教授)

◆未来を思い描く心の起源

 日本SFと聞けば、ふつう一九五九年暮れに早川書房が創刊した月刊専門誌『SFマガジン』を根城に成長を遂げた星新一、小松左京、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍ら第一世代以降の歴史を連想するだろう。しかし日本を代表するSF史家として横田順彌を継ぐ長山靖生の『日本SF精神史』(二〇〇九年)によれば、日本SFは黒船来航以後に徳川斉昭をモデルにすべて漢文で書かれた巌垣月洲の『西征快心篇』(一八五七年)以来百五十年の歴史を誇るという。

 では、いったいどうしてそのようなSF的想像力が培われたのか。長山は本書ではさらにスケールを拡大し、西欧では近代リアリズム小説を指す「ノヴェル」と対照的に潜在してきた驚異の旅に代表される空想物語「ロマンス」の形式を「奇異譚(たん)」と呼び直して、そこにSF的原型を見る。そして『西征快心篇』の本質が、西欧のアジア侵略へ対抗しようとする架空戦記部分ではなく、むしろユートピア精神にあったと見なす。これが江戸時代以前の奇想物語と一線を画するのは、黒船来航以後の日本ではどこか現実につながる有用性を意識した啓蒙(けいもう)的な小説こそが読者の夢をかき立てたからだ。げんに近代化に邁進(まいしん)する開国以後の時代には、どこにもない時空間を求めるオランダSF『新未来記』(一八六五年)を原点とする想像力が大きく羽ばたく。

 そして十九世紀のSF大国フランスからジュール・ヴェルヌやアルベール・ロビダといった作家たちの作品群がぞくぞくと送り込まれ、それを承(う)けた明治日本の奇異譚においては宇宙進出から社会進化論、ひいてはフェミニズムに至るまで、二十一世紀SFでは自明のものとなった発想が一気に出そろうのだ。そこには必ずしも目前の現実ではなく、到達できるかどうかわからないほどの未来を構想する力への信頼がある。日本SFの歴史的起源へ立ち戻るのは、未来を想(おも)う心を取り返すことにほかならない。
 (中央公論新社・6264円)

 <ながやま・やすお> 1962年生まれ。評論家。著書『戦後SF事件史』など。

◆もう1冊 

 横田順彌著『近代日本奇想小説史 入門篇』(ピラールプレス)。多角的に日本SFを論じた文章や古典SFの作家研究を収録。

中日新聞 東京新聞
2016年5月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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