『青梅雨』
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心中する一家の美しさ 短編の名手による、暮らしの向こうの命の終わり
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
短篇の良さは、日常のありふれた暮しのなかに詩を見ることにある。何気ない日常の向うに遠くを見る。時には、そこに死があるかもしれない。
短篇の名手と言われた永井龍男(一九〇四―一九九〇)は市井の人々の暮しの向うに命の終わりを鋭敏に感じ取っていた。死が生を輝かせる。
世評の高い「青梅雨(あおつゆ)」はまさに末期の目で書かれた逸品。冒頭にまず新聞記事が紹介される。東京近郊の町で一家四人が心中した。主人(七七)と妻(六七)、養女(五一)、妻の姉(七二)。生活に追いつめられた果ての死だった。
作者はこの四人の死の直前の様子を淡々と描いてゆく。これから自殺しようとする人間とは思えないほど四人は落着いている。それぞれ昼間何をしたかを語る。順番に風呂に入る。妻が新しい足袋を用意する。夫が買ってきた日本酒を出す。
まるで聖家族のよう。諦めからくる悲しみが一家を美しくしている。死は彼らには希望かもしれない。
「一個」も暗い輝きがある。停年を控えた会社員が夜の遅い電車に乗る。停年後の仕事を頼みに行き、冷たく遇され、疲れ切っている。電車のなかで彼は、父親に抱かれた赤ん坊が吊り皮を捕(つか)もうと無心に何度も手を伸ばしているのを見る。その姿を見て「天使」だと思う。会社員は家に帰って催眠剤を手に取る。
永井龍男は苦労人。神田の「活版屋」の子として生れた。満足な学歴はない。
本書には収録されていないが、十九歳の時に書いた「黒い御飯」は貧しい子供時代を描いた作品としてよく知られる。
この作品が菊池寛に評価され文藝春秋社の編集者になった。
戦後、会社を離れ、筆一本で立った。すでに四十歳を過ぎていた。だから自ずと大人の文学になった。人生の秋をこそ大事にした。
「冬の日」も四十四歳になる女性の孤独、最後の身体の火照りを描いて出色。若くして死んだ娘の婿との関係を断ち切り、幼ない孫のためにこれからは一人で生きてゆこうと決意する女性の思いが、沈もうとする赤い大きな太陽に重ね合わされる。