なぜ男は空から降ってきたのか? アフリカ「奴隷社会」の悲劇

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 今日の天気は晴れ、午後はときどき空から人が降ってくるでしょう──。

 こんな天気予報があながち冗談とは思えなくなるかもしれない。あまり知られていないが、人はけっこう頻繁に空から降ってくるのだ。

 げんに4月末にも「デイリー・ミラー」や「ザ・サン」など、いくつかの英国メディアに次のような記事が掲載された。

「ロンドンのオフィスビルの屋上で頭のない死体が発見される。1400フィート(427メートル)の高さから落ちてきて、エアコンの室外機に激突、バラバラに!」

 種明かしをすると、ビルの上空はロンドン・ヒースロー空港への着陸ルートとなっており、ちょうどこの辺りを通過するタイミングで、主脚を納めた旅客機下部の格納部が開くのだ。死体は密航を試みた29歳のモザンビーク人青年のものだったという。南アフリカ・ヨハネスブルクの空港でロンドン行きの英国航空機に忍び込んだものの、寒さと疲労のために意識を失い、落下したものとみられる。

 5月に刊行された『空から降ってきた男──アフリカ「奴隷社会」の悲劇』(新潮社刊)は、そんな事件のひとつを丹念に追ったノンフィクションだ。

 2012年9月9日早朝。ロンドン郊外の住宅地の路上でひとりの黒人青年の死体が発見された。検視の結果、とてつもないスピードで地面に叩きつけられたことが死因だと断定されたが、付近に高い建物はない。結局、ロンドン警視庁の調べにより、この男性は上空を飛んでいたアフリカ・アンゴラ発ロンドン行きの英国航空機から転落したことが分かった。

 その日はちょうどロンドン五輪に引き続いて開催されたパラリンピックが閉幕する日だった。1カ月ほど続いたお祭りムードがようやく収まろうとしていたなか、この珍事は現地の各マスコミで大きく取り扱われた。

 しかし、その関心も次第に薄らいでいく。身元の特定が困難を極めたため、続報として伝わってくる情報が少なかったからだ。所持品は携帯電話と少額のアンゴラ紙幣と硬貨のみ。頼みの綱は携帯の通話記録だったが、ロックがかけられており、解析は容易ではなかった。アンゴラ当局の非協力的な態度もあり、数週間が過ぎても遺体が誰なのかは分からないままだった。

 当時、毎日新聞のロンドン特派員を務めていた小倉孝保氏が事件の取材に取りかかったのは、ちょうどその頃のことだ。

 青年はなぜそこまでして、ロンドンに来たかったのだろうか?

 そんな興味から小倉氏は、丹念に関係者の話を聞いて歩いた。

 英国では移民問題が国論を二分していた。第二次大戦後、英国は労働力不足を補うために旧植民地の南アジアやカリブ海諸国から多くの移民を受け入れていたが、2000年以降、EUに加盟したことで東欧からの移民が急増。さらに近年では紛争の続く中東やアフリカからの難民がこれに加わり、ロンドンなど大都市を中心に外国人が激増したことで、一部の英国人がこれに拒否反応を示し、移民や難民の排斥を唱える政党が急速に勢力を伸ばしつつあった。

 空から降ってきた青年もそうした難民のひとりに違いない。小倉氏は、彼のバックグラウンドを掘り下げることで、難民問題を国際情勢という大きな枠組みの一コマではなく、具体的な個人のストーリーとして伝えようと考えたのだ。

 その後、遺体のポケットに残されていた携帯電話のものとは別のSIMカードから警察は、被害者の身元を特定。彼の名はジョゼ・マタダ。26歳のモザンビーク人男性だった。通話記録のデータから浮かび上がってきた白人女性を探してジュネーブへ、さらに、彼女の証言に基づいてケープタウン、アンゴラ、モザンビーク──、点と線を結ぶかたちで取材の旅を続けるなかで見えてきたのは、事件の真相だけではなかった。

 多種多様な動植物、広大な草原に沈む夕日、大自然と共存する人々。そんなステロタイプなアフリカのイメージはすでに過去のものだといっても過言ではない。11億を超える人口を有し天然資源の豊富なアフリカは将来有望な市場とみなされ、世界各国からの投資が加速。それにより、現地には数百億円、数千億円の資産を持つ大金持ちが数多く誕生し、宮殿のような大邸宅で、まるで現代のおとぎ話のような贅沢三昧の暮らしを繰り広げているのだ。もちろん、圧倒的多数の人々は貧しいままで、その格差は想像を絶するものとなっている。

 ロンドンの住宅地に降ってきた青年マタダも、そんな大金持ちの家に勤める使用人だった。純朴で実直だったこの青年が、悲劇的な死を迎えるまでのストーリーは、「新自由主義」の看板を掲げた強欲経済に浸食され、矛盾と不条理に満ちたアフリカの現状を象徴しているといえるだろう。

 2015年は中東やアフリカから100万を超える難民が欧州に押し寄せ、世界的な注目を集めたが、内戦や紛争ばかりではなく、貧富の格差も難民を生み出す大きな原因となっている。そして、そうした現状が解決に向かわない限り、飛行機にもぐり込んでも密航しようという者が現れ、その結果、人が降ってくることになるというわけだ。

BookBang編集部

Book Bang編集部
2016年6月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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