女が鎧を脱ぐとき

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軽薄

『軽薄』

著者
金原 ひとみ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103045342
発売日
2016/02/26
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

女が鎧を脱ぐとき

[レビュアー] 木村朗子

 読みながら、胸の奥底を照らされるような、秘事をさらされるような、なんとも言えない羞恥に苛まれていたのは、自分にも二十歳になる甥がいるせいでは断じてなくて、というのもウチの甥は弘斗のように背の高いいい男などではないからで、三十を迎えたばかりの女の欲望がどこか身に覚えがあるような気がしたからなのだと思う。この小説は、夫と八歳の息子を持つカナが十九歳の甥と不倫の末、離婚を決意する話だとまとめてしまうと、実に身も蓋もないものとなるが、ただしタイトルにある「軽薄」というのは、甥と逃避行するという、その決断を言っているのではない。まったく反対にすてきな夫に、かわいい息子がいて、スタイリストとしての仕事は順調、ちょっとセレブリティな暮らしぶり自体が「軽薄の上に築き上げた」ものだったというのだ。人もうらやむ絵に描いたような幸せを手に入れていながら、不全感や空虚感を感じているカナは、実は多くの日本の女たちの今を映しているのかもしれないと思う。安定した仕事と生活を手に入れて、「目標も目的も希望もなくて、ただ観測的に、こうなるんだろうなーって気がしてて、実際にそうなっていくだけの人生って感じ」なのはいかにも虚しい。

 カナの場合、若い頃に付き合っていた男がストーカーと化し、刺されて傷を負った過去があり、それ以来、感情を揺さぶられることとは無縁に生きてきたということもある。そんな経験はそうそうないとしても、ある日突然恋人への執着が跡形もなく消え去った経験ならあるかもしれない。それが情熱的であればあるほど、愛の喪失は、一時はこれぞ愛だと信じた自分ごと一気に疑わしいものにしてしまうから、それ以後、愛なる情念を避けようとするのはむしろふつうで、それでも永遠の愛を探し求めるほど女は厚顔ではない。そもそも情熱だけでは結婚することも子供を持つこともできないだろうけれど、恋愛の果てに結婚があるというのはまったくの絵空事で、近頃の女たちはどこか冷めた目で割り切った結婚をしているように思う。

 カナは、男が逮捕された後もいつまでも消えない恐怖から逃れてイギリスにわたり、そこで知り合った服飾関係のビジネスマンとあっさり結婚し子供をもうける。ただし、その結婚は必ずしも虚無感のなかでの選択というわけではなかった。カナの空虚な思いは、震災後に日本に帰ってきてから顕在化するのだ。カナはそれを次のように説明する。イギリスにいた頃は「人も日常もどこか雑然として、たゆたえど沈まず、といった緩やかな空気があった。でも日本に来た途端、私たちの生活、家庭、ひいては自分が親であり大人であり社会人であるという意識までもがきっちりと作り上げられ、まるで伸びしろがなくなってしまったような気がする。」「ゆとり、気楽さ、余裕、いや、何だろう、言葉ではうまく言えないけれど、日本に戻って以来私はあるものを喪失したような気がしている。」

 海外移住はこれまでのしがらみをすべて捨て去って、新しく生き直すにはもってこいの環境だ。地縁血縁の関係の網から解き放たれて、一個の人間として生きることができる。イギリス生活は単にストーカーから逃れられるとか、忌まわしい過去と決別できるという以上の、自分自身として生きる喜びをカナにもたらした。日本社会は、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を最大の価値とするヨーロッパの国々とはちがって、母、妻、主婦などの杓子定規な性役割を演じることを過剰に求められる息苦しいところだ。

 そんなカナが、アメリカで育って似たような感覚を持つ弘斗に好感を持つのは当然のなりゆきだろう。その上弘斗は、高校時代に女教師と恋愛し、その女性を半殺しの目にあわせる事件を起こしていた。まるでストーカーのような情熱を秘めた甥の理解者はカナしかいない。

 叔母と甥の「禁断の」といってもいい関係はこの小説ではいかにもあり得ることとして説明される。甥の母親である姉とは父親の異なる年の離れた姉妹であり、そのせいで甥との年齢差は十歳であること、また姉一家がアメリカに行っており、カナもイギリスに暮らしていたから甥の成長を見届けてはおらず、親戚というより突然見知らぬ青年が現れたような感じがしたことが語られる。しかし同時にそれは、おむつ替えのときに息子のペニスを口に含むことを想像したりする、母親の危険な欲望と隣り合うものでもある。だからはじめて弘斗と関係したあとで、八歳の息子が抱きしめてほしいと乞い、胸を触ってきたことに強烈な嫌悪をもよおすのだ。

 カナの人生を変えるのが、よりにもよって甥との関係でなければならなかったのはなぜだろう。日本的な地縁血縁をぶち壊す静かな衝動を抱えていたカナにとって、夫との関係だけでなく親や姉という家族から抜け出す必要があったのかもしれない。弘斗が「結婚出来ないゲイのカップルとか、子供のいない夫婦とか、事実婚のカップルとか、そういうものが絶望的だって、カナさんは思うの?」と問うように、常識にとらわれないパートナー像を提示してもいるだろう。なによりカナが感情を取り戻すためには、かけがえのない一人を見出さなければならないのだから、ただの男ではなくて、甥という代替不可能な関係でなければならないということもある。

 あるいはこの物語の時間が震災後にあることを深読みするなら、震災後に書かれた川上弘美『水声』が姉と弟が愛し合う物語であったこととどこか重なるようにもみえる。『水声』では、地下鉄サリン事件を経験した弟が姉と関係するようになる。世界の終わりをほの見た恐怖のあとで、この手からどうしても逃したくない大切なものを象徴するのが禁忌の恋であったように、砂上の楼閣のような浅薄な生活の代わりに手に入れるものが甥という禁止の関係を突破することにあったのではないか。単行本化に際して、最後に弘斗に風鈴をプレゼントされるエピソードが書き加えられた。プレゼントなんか喜んだためしのなかったカナが風鈴をもらって「ずっと、これが欲しかった」と言うのは、弘斗がストーカー事件の過去を埋め合わせるものでもなく、幼い頃、夏祭りで風鈴を見上げた、あのときの自分とつなぐものだったからだ。人生をリセットして、やたらと着こんだ鎧を脱ぎ去って、まだ何にも染められていない姿で生き直そうとするカナの物語は、息苦しさに喘ぐ女たちをそそのかす。

新潮社 新潮
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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