飛行機で密航する難民も 英国EU離脱問題の背景

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■底辺から高みへ 河野通和(「考える人」編集長)

 本のタイトル(『空から降ってきた男 アフリカ「奴隷社会」の悲劇』)を見た瞬間、デヴィッド・ボウイのことが頭をよぎりました。今年1月10日に亡くなったイギリス音楽界のスーパースター。彼の初めての主演映画が、「地球に落ちて来た男」(1976年)でした(*)。

 同じような連想をした人が、やはりこの映画タイトルを引いて、本書の“現場”に詩を書き残していたらしいことが紹介されています。カバーに使われた真っ青な空の写真が目を引きます。真ん中に小さく、上空を飛んで行く旅客機の姿――。

 「空から降ってきた男」とは、詩的比喩でも寓意でもありません。現実に、空を飛ぶ旅客機の機体から落ちてきた人物の物語です。彼の死の背景に何があったのか――私たちはそこから世界が直面している“文明の宿痾(しゅくあ)”を目の当たりにします。

 2012年9月9日、「この季節のロンドンにしては、異様なほど晴れ渡った朝」でした。ロンドン郊外の住宅地で、一人の黒人青年の死体が発見されます。検視の結果、上空を飛んでいたアフリカのアンゴラ発ロンドン行きの英国航空機から転落したことが判明します。

11墜落現場

 非業の死を遂げた、この男性の身元の特定は困難を極めます。旅券がなく、所持品も限られていたために、数週間が過ぎても、いったい彼が「誰」なのかは分からないままでした。毎日新聞欧州総局長としてロンドンに赴任していた著者は、この事故に「何かひっかかるもの」を感じます。

 状況から男性は、アンゴラの首都ルアンダの空港で、ロンドン・ヒースロー空港行きBA76便の主翼下の主脚格納部に潜り込み、8時間のフライトの後、着陸態勢に入った旅客機が車輪を出した際に落下したものと認定されます。およそ760メートル上空から、時速約200キロの速度で、地面に身体を打ちつけられ、息絶えた、と推定されました。

12収容される遺体(近隣住民撮影)

 高度1万メートルを飛ぶジャンボ機は、エベレスト(標高8848メートル)より上を行くわけですから、空気は極端に薄く、ほとんど呼吸はできません。寒さは冬の極地にも匹敵する摂氏マイナス50度から60度。しかも、絶えず巨大なエンジン音が鼓膜を揺るがし続けます。

 身を潜ませた主脚格納部というのは、縦40.6センチ、横2メートル13センチ、高さ66センチ程度の「棺よりも少し大きい程度の広さ」です。逃げ出すこともできない「空飛ぶ棺」にじっと身を横たえた黒人男性は、強烈な寒さと息苦しさ、唸りをあげるエンジン音、そして格納部の扉が閉じられた後の完全な暗闇の中で、何を思っていたのか……薄れていく意識の中で何を願っていたのでしょう。

 着ていたのは、市販の軽いトレーナーだけ。耳をつんざくエンジン音への対策は、両耳に詰め込んだティッシュペーパーのみでした。

〈世界には命の危険を冒してでも、海を渡ることを熱望する人がいる。彼らが、命と引き替えにしてまでも手に入れたいものとは何なのだろう。このテーマを探っていくことで、世界の抱える問題の一端が見えてくると私は直感した。移民問題を集合体や群れで把握するのではなく、一つのケースを掘り下げ、一人の人間を描くことで、この問題はきっと、実態を伴った現実感覚のある課題として浮かび上がってくるはずだ。アンゴラからやってきたこの男性に迫ることで、初めて見えてくるものがある〉

 事故から約2ヵ月が経過して、男性は26歳のモザンビーク人のジョゼ・マタダだと判明します。南アフリカでハウスキーパーや庭師として働いていました。彼の雇い主であり、いまはスイス在住の30歳の白人女性、ジェシカ・ハントがこの密航のカギを握っているらしいことも分かります。

13ジェシカ・ハントさん

 著者は、まずジェシカをジュネーブに訪ねます。彼女の生い立ち、二人の運命的な出会いから、苦難の日々、そして永遠の別離の瞬間まで、詳しく話を聞き出します。イギリス人の父、スイス人の母の間に生まれたジェシカは、幼い頃から、多文化、多言語が入り混じった環境で育ちます。小学校から高校までは、国連や国際機関で働く人たちの子弟が通うジュネーブ近郊の国際学校で学び、15歳の時、4歳年上の黒人イスラム教徒と出会います。彼の一族はカメルーンの大富豪でした。われわれの想像がとても及ばないような「ある意味で典型的なアフリカ型資産家」の御曹司です。

 2年後、二人は結婚します。翌年、ジェシカは18歳で正式にイスラムに改宗します。「多文化に育ったジェシカは、その浮き草のような自分の体内にようやくイスラムという確固たる文化が宿ったのを感じたのだろう」と、著者は彼女の様子を伝えます。

 ところが、結婚生活には、間もなく不協和音が生じます。ロンドンの大学を卒業したジェシカは、2008年から夫とともに南アフリカのケープタウンに移住しますが、ここで夫の大家族と同居したところから、耐え難い日々が始まります。

 大富豪一族はジェシカを財産目当てだと決めつけ、根も葉もない中傷、嫌がらせを繰り返します。当初は味方をしていた夫も、やがて家族の側に立ち、スパイ役の使用人をつけて、妻に監視の目を光らせます。

〈そんな彼女の乾いた心に少しだけ、潤いを与えてくれるものが二つあった。一つはイスラム。そしてもう一つは、自分の話を静かに聞いてくれる使用人だった。この使用人こそ、ロンドンのヒースロー空港近くの住宅地に「空から降ってきた男」、ジョゼ・マタダだった〉

 二人は使用人と雇用主の関係を離れ、強い精神的な結びつきを感じるようになります。ジョゼもイスラムに改宗します。ジェシカは二人の関係を恋愛感情ではなく、弟のような存在だったと主張しますが、ジョゼの気持ちは違いました。憧れのマダムに頼られる喜びを感じつつ、ジェシカを女性として愛し始めます。

 夫の粗暴なふるまいに限界を感じたジェシカは、ジョゼを伴って家から逃げます。嫉妬と狂気に駆られた夫の妨害、あくなき追跡。生活手段を奪われた逃避行は、やがて終局のときを迎えます。

 ジェシカは単身、ベルリンの母の許へ避難し、正規の旅券を持たないジョゼはケープタウンに留まります。これが永遠の別離となりました。ジョゼのような境遇の者が、まともな手段で欧州に渡るのは、「人類が別の惑星にたどり着くほどに困難なのだ」と著者は言います。ジェシカからの送金も、役人にワイロとして巻き上げられ、失意が彼を襲います。想像を絶するほどの高い壁が、ジョゼの前に立ちはだかります。

 二人が家を出たあたりから、本書の最大の読みどころが訪れます。著者はジェシカに続いて、マタダの故郷モザンビークの村に彼の母親を訪ねます。想像してはいたものの、豊かさとはほど遠い、ポルトガル植民地時代からの社会矛盾が放置されたような場所でした。現地ガイドを務めたジャーナリストが解説してくれます。

14ジョゼ・マタダの生まれ故郷

 この村にいれば、収入は不安定で微々たるものだが、町に出れば月50ドルの手当てになる。それが南アでは週50ドルになる。ロンドンに行けば50ドルは日給にもならないはず。同じ労働力を提供しても、モザンビークの町とロンドンでは、およそ30倍の格差がある――。

15ジョゼ・マタダの生まれ故郷

「南部アフリカの人間はヨーロッパの豊かさを知っている。衛星放送で世界のニュースに触れ、インターネットが世界の人々をつないでいる。例えば、アフリカでは今、どんな小さな村でも、英国のサッカー・プレミアリーグの試合を観ている。プレミアで活躍する選手にはアフリカ出身者が多い。電気の届いていない村でさえ、衛星放送受信用のパラボラアンテナはあるんだ。そして、バッテリーで衛星テレビを観る。そのテレビを観ていると、多国籍企業のCMを通して、先進国の生活に触れることができる。その意味では、アフリカ人にとって欧州はすぐそこにある。そして、その欧州はいつも明るく輝いているんだ」

 水が高地から低地に流れるのとは逆に、人間は低いところから高いところに向かう、それが国際社会の摂理である――と著者は述べます。モザンビークと欧州では、圧倒的な経済格差があります。持つ者と持たざる者とのくっきりした隔たりは、アフリカの社会階層としても出現します。加えて役所、警察を中心に、社会の隅々にまではびこる汚職体質。それゆえの不条理、絶望、悪循環。

〈マタダは、どうにかしてアフリカから逃れたかった。……カネや権力を持ったアフリカ人が、持たないアフリカ人を奴隷のように扱う。そんな理不尽な土地にこれ以上留まってはいられなかった。
 ジェシカのいる場所に、一刻も早く行きたい、とにかく、自由になりたい、人並みに扱われたい、努力をすれば報われる世界に行きたい――、その一心だったのではないか。もはやジェシカは、愛の対象であるばかりでなく、マタダにとっての自由の象徴だった〉

 ロンドン、モザンビーク、ポルトガルといえば、ひとつの強烈な思い出が即座に浮かびます。1966年サッカー・ワールドカップの第8回大会。サッカー発祥の地イングランドが地元開催で初めて優勝に輝いた大会です。旋風を巻き起こしたのは、アジアから出場した北朝鮮と、それを破ってベスト4に進出したポルトガルでした。そのエースがエウゼビオというストライカー。出身地の名前から「モザンビークの黒豹(ヒョウ)」の異名を持ち、抜群のスピード、パワーを誇る選手でした。準々決勝の北朝鮮戦。0-3の劣勢を自らの4連続ゴールでひっくり返した試合は、まさに鳥肌が立つようでした。

 海外のサッカー試合を観る術もなく、いまのような映像再生技術もない時代ですから、大会の記録映画を繰り返し見ました。そのプレーを目に焼き付けようとしたものです。そして、エウゼビオの所属するベンフィカ・リスボンが初来日した1970年8月には、その試合を神戸まで観に行きました。日本のエース、釜本邦茂選手が「目標」に掲げていたのもエウゼビオです。

 その彼が現役選手として活躍していた頃に、モザンビークは激動の時代を迎えていました。独立戦争、社会主義政権の成立、そして1977年から15年に及んだ内戦の時代へ。内戦では、ナチスのユダヤ人虐殺、ポル・ポト政権の大虐殺に続く、「第三のホロコースト」と呼ばれるほどの大量虐殺が行われました。ジョゼは母の背中で生き残りました。

16喪に服していたマタダの母

 姿を変えたジョゼの遺体は、英国で埋葬されました。家族は故郷への返還を願いますが、著者の尽力にもかかわらず、それが叶わぬ夢となりかけた時、話を聞いたノルウェーの企業が、匿名を条件に遺体移送費用の全額を負担し、ジョゼはアフリカの大地に戻ります。「海のような」きれいな目と、素直な笑顔をジェシカの心に刻みつけたアフリカ青年の、長く切ない旅でした。

17マタダの写真を持つ兄

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)
写真撮影・小倉孝保

*「地球に落ちて来た男」がデヴィッド・ボウイ追悼企画として、7月16日から渋谷・ユーロスペース、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショーの予定。

Book Bang編集部
2016年6月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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