【聞きたい。】平井正修さん『男の禅語 「生き方の軸」はどこにあるのか』 想像力は時に邪魔となる

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男の禅語

『男の禅語』

著者
平井, 正修, 1967-
出版社
三笠書房
ISBN
9784837984122
価格
649円(税込)

書籍情報:openBD

【聞きたい。】平井正修さん『男の禅語 「生き方の軸」はどこにあるのか』 想像力は時に邪魔となる

[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)

1平井正修さん

 潔いタイトルだ。タイトルに惹(ひ)かれ、平井さんが住職を務める東京は谷中の全生庵(ぜんしょうあん)を訪ねた。「幕末三舟」のひとりである山岡鉄舟が創建した全生庵は、円山応挙の幽霊画や三遊亭円朝の墓、総理大臣が坐禅(ざぜん)に訪れることで知られる。

 「タイトルが潔い」と述べると、「男性と女性は人間としては平等ですが、男女の別は歴然としてあります。父は常々《男は家の徳を高めるため、女は家の徳を守るために働く》と言っていました。いま、男があまりに寂しい存在になっていませんか。《男たちよ、自分の役割を自覚せんか》という気持ちがこめられているんです」と平井さん。

 50個の禅語をよすがに、生き方の軸を探してみないかと提案する本書は「無」から始まる。「『無』とは与えられた役に没頭する状態です。仕事のときは仕事だけ、遊びのときは遊びだけ…。自分を無にして与えられた役になりきれば邪念は消えます。つまり、自分が『無』であると思うことができれば、どんな状況でも自由でいられます」

 深い言葉だ。近年はやりの「自分探し」とは正反対である。「自分探し」とは自分が何か大層なものを持っているという勘違いから始まる。自分探しの旅人は結局目的を遂げられないまま永遠に漂流を続けることになる。逆に自分は「無」と思えるようになれば、与えられた役を大切にこなすようになる。充実した人生とはそういうものだろう。

 「雨滴声(うてきせい)」も面白い。雨の日、鏡清(きょうしょう)和尚が修行僧に「外の音は何か」と訊(き)く。外を確かめることなく「雨の音」と答えた僧に和尚は「お前は自分を見失っている」と言う。実際に見もしないで想像力だけで世界を理解しようとする者への戒めなのだ。世界は体感で理解すべきなのだ。平井さんは言う。「人間は自分の想像力がつくる型に自分を当てはめてしまう。想像力は本当の理解を邪魔することもあるのです」。禅語は深淵で魅力的だ。(桑原聡)

 ◇

【プロフィル】平井正修

 ひらい・しょうしゅう 昭和42年、東京生まれ。学習院大学卒。龍澤寺専門道場で10年間修行。著書に『三つの毒を捨てなさい』など。日大客員教授。

産経新聞
2016年6月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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