[とと姉ちゃん]花山伊佐次はあの有名な「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」を作った人物だった!?

テレビ・ラジオで取り上げられた本

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 NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に登場する唐沢寿明さん(53)演じる編集者・花山伊佐次。ドラマでは彼の戦争体験に起因した葛藤が描かれた。その葛藤は花山のモデルとなった実在の天才編集者・花森安治の戦後の生き方を決定づけるものでもあった。

■「とと姉ちゃん」雑誌編に

 生活総合誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。戦後、高畑充希さん(24)演じる主人公の常子が創刊した「スタアの装ひ」は全く売れず、雑誌存続の危機を迎えていた。そこで常子が頼ったのは戦時中に知り合った編集者でイラストレーターの花山伊佐次だ。彼は戦時中内務省にて広告の仕事をしていた人物。作中では彼が内務省で「進め 一億 火の玉だ」という戦争標語を選ぶ姿が描かれていた。常子は戦後喫茶店の店主となっていた花山に編集長となってもらうことをお願いしに行くも、花山は「二度とペンを握らない」と雑誌編集に関わることを固辞し続ける。

■花山が筆を折った理由

 7月13日の放送では花山は常子の情熱に押され、ペンを握らない理由を明かした。戦前、花山の母親が平塚らいてうの「青鞜」を読み、その言葉に勇気づけられていたという。言葉は人を救うと感じ、自分もそんなふうに「ペンで力のある言葉を生みだし、人を救えたら」と考えていた、と告白した。そして戦時中結核を患い内地に戻ってきた花山は戦地で戦う友の為、国の為になればと、内務省で宣伝の仕事にまい進した。それが戦争標語を選んでいたあのシーンだ。

 しかし日本は戦争に負け、1945年8月15日子どもの頃から教えられてきたことが間違っていたんじゃないかということに花山は気付いたのだ。そして言葉は人を救うだけではなく、恐ろしい力があるということに無自覚なまま、それに関わってきたことを悔いたと語る。

 戦時中に流布されていた「爆弾は怖いが焼夷弾は恐るるに足らず」というスローガンを例に挙げ、実はそれは「とんでもない嘘だった」と明かす。それを信じて焼夷弾の火を消そうとした子どもや女性が何人も亡くなったというのだ。そしてもし自分が書けと言われたら、同様の言葉を書いていただろうと反省を口にした。「言葉の力は恐ろしい。人を救いたくてペンを握ってきたのに、そんなこともわからず戦時中言葉に関わってきた」と自分を断罪し、終戦とともに筆を折った理由を告白した。

■「ぜいたくは敵だ!」は誰がつくった?

 花山のモデルとなった花森安治も同じような経歴を辿ってきたことが知られている。花森も同様に満州で病気を患い、内地に送り返され、戦争標語と関わる仕事に就いていた。そこで

「ぜいたくは敵だ! 日本人ならぜいたくはできない筈だ!」

との戦時中を代表するような有名な標語をつくり、さらに大政翼賛会に入り、

「欲しがりません勝つまでは」
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」

 などのコピーを作ったとまことしやかに語られているが、その真偽は定かではない。後に反戦論者として知られる花森を揶揄し「じつは戦時中こんなことをやっていた」とスキャンダラスに語られたこともあったが、花森自身はそれについて明確に反論も肯定もしていない。しかし実際は翼賛会が主催した「国民決意の標語」の募集に応募された作品のなかから選ばれたものであったり、あくまでメンバーの一員として関わっていた仕事であったりと、花森自身が筆をとったものではない、というのが現在の定説となっている。

■弁解はしない

 それでも花森が責任を感じていたのはたしかだ。数ある花森安治の評伝でも決定版と言われる『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(新潮社)で著者の津野海太郎さんは花森が自分ではっきりと否定しなかった理由をこう書いている。

〈断定はできないが、おおよその見当はつく。じぶんの作であろうとなかろうと、これらの標語の作成に花森が翼賛会宣伝部の有能なスタッフとして「一生懸命」かかわった事実に変わりはないからだ。もはや取り消しのきかない過去の事実として、「ぼく」はそういうしかたであの戦争に積極的に「協力した」。そうである以上、いまさら弁解はしない。なにをいわれようとも沈黙をまもる。 〉

 このような背景があるため「とと姉ちゃん」においても、花山は「もし自分が書けと言われたら、書いていただろう」との微妙なセリフで責任を痛感していることをあらわしていたのだ。

■だまされない人たちをふやしていく

 その後花森は大橋鎭子といっしょに「暮しの手帖」を創刊することになるのだが、そこで彼は戦時中虐げられた女性のために粉骨砕身に働く。後に彼はインタビューで「これからは絶対だまされない、だまされない人たちをふやしていく」(週刊朝日 1971年11月19日号) と語っており、後の「暮しの手帖」の名物企画「商品テスト」へと繋がっていくのだと考えると感慨深い。

 この先「とと姉ちゃん」で常子と花山がどのような雑誌を作ってゆくのか。花森安治と大橋鎭子の生涯を知っておくことで「とと姉ちゃん」がより楽しめることだろう。

 NHKでは2人を扱った関連番組の放送が続々と予定されている。Eテレにて日曜日午前9時より放送の「日曜美術館」では17日「花森安治 30年間の表紙画」が放送予定。またNHK総合では18日月曜祝日朝8時15分から「『とと姉ちゃん』と、あの雑誌」という大橋鎭子の生き様や仕事に取り組む姿勢を紹介する番組が放送される。

猪原宍道/Book Bang編集部

Book Bang編集部
2016年7月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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