和菓子とお茶がほしくなるマンガ『あんどーなつ』(西ゆうじ・原作/テリー山本・マンガ)|中野晴行の「まんがのソムリエ」第1回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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 このところ和菓子に凝っている。自宅の近所に40代くらいのご夫婦がやっている小さな和菓子屋さんがあって、休みの日にその店をのぞくのがちょっと楽しみになっているのだ。定番は、お饅頭とどら焼きと最中。春は牡丹餅、柏餅、桜餅、夏は葛饅頭……。ほかに、地元の名産品であるバラやナシをつかった季節の創作菓子も愉しみ。去年は夏の終わりに「ナシの水ようかん」にはまってしまって、「今日が最後」の張り紙を見た時には実に悔しかった。
「一番食感のいい時に食べてもらいたいので、旬の時期しかつくれないんです」というご主人の言葉に感心して、「来年はもっと頻繁に来ます」と宣言したくらいだ。

 そんなこんなで、今回は和菓子職人のマンガである。パティシエやパン職人のマンガはけっこうあるけど、和菓子は意外に少ない。若い人には受けない、という編集部側の先入観でもあるのかなあ。
 その少ない中から、今回紹介するのは西ゆうじ・原作、テリー山本・マンガの『あんどーなつ 江戸和菓子職人物語』。和菓子の魅力を余すところなく伝えてくれる素晴らしいマンガだ。

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 主人公は安藤奈津。名前がいいね。餡ドーナッツは、洋菓子のドーナッツの中に、和菓子には欠かせない餡子が入った和洋折衷のお菓子。でも、真ん中が餡子だから洋菓子ではなくやっぱり和菓子。洋服を着て洋風の暮らしをしていても、日本人はやっぱり日本人、といったところだろう。
 奈津――いや、みんなが呼ぶように「なっちゃん」でいいか――なっちゃんは、生まれてすぐに母親を亡くし、福井の祖母の手で育てられた。海外勤務の多い商社マンだった父親はなかなかなっちゃんと会えなかったが、誕生日には必ず福井までバースデーケーキを持って会いに来てくれた。幼いなっちゃんはパパのためにケーキ屋さんになることを夢見るようになり、お菓子の専門学校に進む。
 卒業を控え、卒業旅行を兼ねて父の赴任先・ニューヨークに行ったなっちゃん。しかし、再会を目の前に父は交通事故で死亡。それでも、なっちゃんは父との約束を果たすためにパティシエをめざし就活を続けていた。
 銀座の有名菓子店「獅子屋」の面接試験を受けたなっちゃんがそこで偶然出会ったのは、浅草の老舗和菓子店「満月堂」の職人、梅吉(梅さん)と竹蔵(竹ちゃん)のふたり。満月堂は若旦那を亡くしたばかりで、ふたりは店の将来を託せる若い職人を紹介してもらうために代々縁のあった獅子屋に来ていたのだ。
 面接に落ちたなっちゃんは、梅さんや女将さんに請われ、パティシエの仕事が決まるまでという約束で、アルバイトとして満月堂で和菓子作りを学ぶことになった。

 洋菓子一筋だったなっちゃんが、和菓子の魅力や浅草の人情に触れながら、一人前の和菓子職人に成長していく、という物語。デパートの催事で獅子屋との味対決、みたいな場面も出てくるし、なっちゃんの母親の出生の秘密話もある。なっちゃんを恋い慕う、落語に出てきそうな浮かれた若旦那も登場して、お話を盛り上げる。そんな中に、江戸の和菓子職人の心意気が伝わるエピソードも満載。
 好きなのは、葛饅頭の名店「鶴亀堂」のエピソードだ。頑固一徹で、味を盗みに他の店からやってくる職人たちを見つけては追い返してしまう年老いた店主が、なっちゃんの職人としての心構え(この頃にはずいぶん成長している)に感心して、秘伝を教えるというお話だ。こうして、味は人から人に伝承されるのだと知らされて、読みながらこちらも姿勢を正してしまった。

 満月堂の五八様(おとくいさまの意)のご隠居であり、実はなっちゃんのお父さんが働いていた商社の会長さんが「和」について語ったセリフもいいなあ。
「和という字は禾に口と書くだろ。これは稲…米を食べる、すなわち食事をするという事。人と食事をすると和むのさ。」
 たしかに食事は和む。しかも、ひとりよりもふたり。ふたりよりももっとたくさんのほうが愉しくて気持ちも和む。その中心にくるのが和食であり、和菓子なんだ。
 熱いお茶を入れて和菓子を口にすると、たしかにほっこりと和む。全身が柔らかくなる。
 ひとりよりもふたり、ふたりよりもたくさん……多様なものを退けずに融合していくことこそ「和」なんだ。このマンガを読んでいるとそれが心に伝わってくる。和菓子みたいなマンガ…と言ってもいいかもしれない。

 残念なことに、2013年に原作者の西ゆうじが59歳の若さで急逝したために、連載は完結することなく終わってしまった。格式ばった上っ面だけの日本文化論が大手を振っている今だからこそ、なっちゃんみたいな本物の「和の心」を知ることが一番(いっち)大切だと、滅法界思うのだけどね。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年5月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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