広島カープ優勝記念マンガ!?『とろける鉄工所』野村宗弘|中野晴行の「まんがのソムリエ」第8回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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地味だけど実はすごい溶接工の世界
『とろける鉄工所』野村宗弘

 広島カープ優勝記念!!
 悔しいけど、阪神ファンからのお祝いの意味を込めて、今回は広島出身でカープファンというマンガ家の作品を取り上げよう。
 野村宗弘のデビュー作『とろける鉄工場』である。

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 野村は広島の鉄工所で溶接の仕事をしながらマンガ家をめざし、2007年にイブニング新人賞を受賞。選考委員のひとりの伊藤理佐のすすめで職業経験を生かして描いた本作で連載デビューしている。カープファンとしては2013年4月の広島対ベイスターズ戦で始球式をつとめるなどファンの間での知名度は高い。

 舞台になるのは、広島郊外にある「のろ鉄工」という鉄工所。60歳になった社長が25歳の時に立ち上げて一代で築いた会社で、溶接の技術力で取引先から高い信頼を得ている。社長はワンマンで、仕事には厳しく、労災の扱いや残業などではブラックなイメージもあるが、仕事を増やす本当の理由は社員の生活を考えるから。営業に出ても自信と誇りで仕事を獲得している。息抜きのための社員旅行もちゃんと実施していて、良くも悪くも古き良き日本の中小企業の雰囲気を漂わせているのだ。

 主人公の北さんは28歳。勤務歴は5年。もともとはシンガーソングライターをめざしていたが、22歳の時に音痴であることに気づいて歌をあきらめ、職安で紹介されたのろ鉄工で働くことになった。このあたりの設定は、高卒後マンガ家を目指し、一度挫折して鉄工所で働き始めたという作者の経歴と重なる。2つ年下の奥さんとは、シンガーソングライターをめざしていたころ、同じバイト先で知り合った。歌をあきらめた北さんが働く決心をしたのも彼女と結婚をするためだった。
 後輩の吉っちゃんは19歳。勤続1年。腕はまだまだ半人前。人を頼ってばかりいるところがあって、北さんのパシリに甘んじている。同世代の女性との出会いを求めて合コンにも参加しているようだが、女性には免疫がなく、いっこうにもてない。
 小島さんは50歳。会社設立当時のメンバーで、勤続35年のベテラン。仕事中の事故で左目が見えない。高校3年生のさと子という娘がいる。
 今井さんは42歳。勤続16年。背中には不動明王の彫り物があり、人生には4年間の空白がある。口数少なく、見た目は怖いけど工場の仲間たちからは好かれ、頼りにされている。
 西田さんは47歳。のろ鉄工では勤続8年だが、溶接の仕事は22年のベテラン。ヘビースモーカー。腰痛に悩まされており、骨折することも多い。
 高原さんは44歳。北海道の鉄工所から転職してきて10年目。独身。女性にはちょっとしたトラウマが……。

 各4ページのショートショート連作形式で、はじめのうちは鉄工所や溶接の仕事を説明するという展開が多いが、途中からは小島さんの家族や、溶接の道に進んだばかりの北さんの若いころの話、不渡り手形をつかまされて苦境に陥ったのろ鉄工を、東京で暮らしていた社長の娘と旦那さんが救う話など、鉄工所を舞台にしたドラマが増えていく。
 工場を代表する選手たちが日ごと鍛えた技能を競う「溶接技術競技会」に、社長命令で北さんがチャレンジするというエピソードもある。まるで「溶接の天下一武闘会」である。

 個人的には、ドラマ性がある回のほうが好きなのだが、溶接に関するマニアックなうんちくのファン、という人も多いらしい。なにしろ作者が溶接歴7年なのだから、玄人しか知らない情報が満載。実際に鉄工所で働く人たちからの評判もいい。
 特に好きなのは、今井さんがのろ鉄工をやめてパン屋をはじめるというエピソード。
「今月末にわしここをやめるんで」と言う今井さんに北さんはびっくり。しかも、全く畑違いの手作りパンの店をはじめるというので二度びっくり。しかも、好きな女性と一緒だという。
 そんな今井さんから吉っちゃんにサプライズな贈り物。これまで大切に使ってきた工具を全部譲るというのだ。これは「工具引きつぎの儀」といって、作者も経験したそうだ。
 感激している吉っちゃんに、こんな言葉をのこす。
「この仕事はの プロボクサーみたぁに 選ばれた人間だけじゃのうて 入社した日から誰でもすぐにプロなんよ じゃけえ 技術がついていかんでもの プロ意識だけは 持っとかんといけんで 吉っちゃんは もう人に与える立場なんじゃけえ」

 どうやら今井さんの気持ちは、吉っちゃんには伝わらなかったようだが、読者には伝わったはず。どんな仕事にも通じる名言だと思う。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2016年9月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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