“イヤミスの女王”湊かなえ「嫌な状況を突き抜けたらどうなるかを考えながら書くのは楽しい」

インタビュー

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ポイズンドーター・ホーリーマザー

『ポイズンドーター・ホーリーマザー』

著者
湊かなえ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334910945
発売日
2016/05/17
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』インタヴュー

[文] 瀧井朝世(ライター)

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湊かなえさん

――新作『ポイズンドーター・ホーリーマザー』は毒気を含んだ六篇が収録された短篇集です。母と娘、抑圧状態の女性、不幸に酔う女の人など、どれも複雑な女性の心理がもたらすものが描かれていますよね。これはもともと一冊の本にまとめることを意識して書かれたのですか。

湊 短篇掲載のお話をいただいたのが、『宝石 ザミステリー』というミステリー小説誌でした。年に一回か二回の刊行だったので、そのたびに何か書きたいものを考えて書いてお渡ししていたので、バラバラなものを書いている感覚だったんです。でも、まとめてみると全体に通じるものがある作品集になったのかなと思いました。発表順に収録しているんですが、巻頭の「マイディアレスト」は四年前に書いたものになりますね。

――この「マイディアレスト」のラストがあまりにブラックで、お、今回はイヤミス短篇集か! と思いました。一人の女性が事情聴取を受けているのか、ずっと自分や家族のことを語っている。彼女の妹が事件に巻き込まれたようなんですよね。姉である語り手は現在無職の実家暮らし、猫を愛でる日々を送っていたところ、妊婦の妹が帰省する。でも、折しも近所では妊婦暴行事件が連続して発生していてという。

湊 これは、最初のタイトルが「蚤取り」だったんです。独身女性が猫を飼い始めると猫ばかり可愛がるから結婚できなくなる、というエピソードを聞いたことがあったんです。それで、それが行き過ぎて猫に依存してしまう女の人を書こうと思いました。仕事もしていない、結婚もしていない、家族からも疎まれて、毎日スーパーに行くことくらいしかしていないけれど、私には猫のこの子がいる、と思っている女の人の話です。猫に依存すればするほど、外との壁を厚くしてしまっているんです。

――猫好きの自分としては耳の痛い話です。でも湊さんも猫を飼っていますよね。たしか『豆の上で眠る』の時に、家出した猫を探した経験が描写の役に立ったという。

湊 そうです(笑)。この短篇を書いた頃にちょうど飼い始めたんです。私は外飼いしているんです。家の中では甘えてくるのに、家から離れたところで会うと、よそよそしいんですよね。「なんでここにいるの?」という顔をする。その様子を見ると、こっちが思うほど好かれていないのかなと思ってしまう。この短篇でも、そうした猫の様子を踏まえて書いてあります。

――母親の態度も気になりました。小さい頃から、姉には厳しかったのに、妹には甘いという。それで妹がちょっと図に乗っている印象もありますね。

湊 私も二人姉妹の姉で、母が私に厳しかったんです。でも悪気があったわけではなくて、ここに出てくるお母さんも言っていますが、一人目の時は頑張ったけれど、二人目の頃になると年齢的にも体力が落ちて「しんどいねん」ということらしいです(笑)。それに妹も姉の様子を見ているから、要領よく立ち回るんですよね。私がテストの点数が悪くて叱られている姿を見ているから、自分の点数が悪かった時は泣きながら「できなかった」と報告する。すると親も「そこまで気にするほどじゃない」と言ってくれる。
 私のほうが頑張ったのに、妹のほうが楽しそう、と思っているお姉さんって世の中にたくさんいると思います。そういう思いを抱えながら、猫に依存しきってしまうようになった女の人がいたらどうなっていくかな、と考えました。イヤミスを書こうと意識はしていませんでしたが、こうした嫌な状況を突き抜けたらどうなるかを考えながら書くのは楽しいですね(笑)。

――次の「ベストフレンド」も実体験がヒントになっているのではないでしょうか。湊さんは作家になる前に脚本賞に応募していらしたそうですが、これは脚本の新人賞で優秀賞に選ばれた女性が主人公。授賞式で一度だけ会った最優秀賞の女性に、その後嫉妬と羨望の気持ちを抱き続けていくという話です。

湊 私がはじめてシナリオコンクールで佳作に入って授賞式に行った時、大賞の人はもうすでに何回かプロデューサーと打ち合わせをしているようだったんです。入選者のなかでその人だけすでに向こう側の世界に行ってしまった感じがありました。その大賞受賞者は私たちのことは眼中に入っていなかったかもしれませんが、私には妬ましい気持ちと頑張ってほしい、という両方の気持ちがずっとあるんですよね。今でも名前を見かけると、頑張っているんだなって思います。授賞式の時しか会っていない遠い存在なのに、そんなふうにライバル認定する関係というのは、なかなかないですよね。そもそも大人になるとライバルも友達もできにくいですし。それが面白そうだと思いました。
 それと、小説の賞はペンネームを使えますけれど、当時シナリオの賞は本名で応募するのが原則だったんです。会ったこともないのに一次選考や二次選考の結果を見て、名前でおぼえる人も多かった。それで、今回は作中に珍しい名前を使いました。

――ああ、主人公の名前が漣涼香(さざなみすずか)、大賞を獲ったライバルの名前が大豆田薫子(まみゆうだかおるこ)などといった名前なのは、そのためなんですね。

湊 「珍しい名字辞典」というものでいろいろ調べて登場人物たちの名前を決めていきました。ついでに私の「湊」という字についても調べたんですよ(笑)。「港」は海側、「湊」は陸側を指すそうです。人の名前や地名の「みなと」に「湊」の字が多いのは、陸側の部分だからなんですね。

――なるほど(笑)。漣さんはその後、大豆田さんの手がけた作品だけでなく、それに対するネットの評判も必ずチェックするようになる。そして批判的な書き込みを見ては溜飲を下げたりもします。

湊 私は作り手になりたい人が、中途半端にネットに中傷を書き込んでは駄目だろうと思っています。ただ楽しみのためだけに批判を書き込む人はそれでいいかもしれませんが、自分で創作をしたい人にとって、悔しいとか妬ましいという負の感情は大きな原動力になります。それをネットに吐き出してしまうのではなく、作品にぶつけたらものすごく面白い一本ができるはずなのにな、って思っています。自分も何かを悪く言うことくらいはありますが(笑)、でも怒るようなことがあったら、それを公に出したくはないですね。どうせなら作品に叩きつけたいです。

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――この話のタイトルがなぜ「ベストフレンド」なんだろうと思っていましたが、最後にその意味を噛みしめることになりますね。次の「罪深き女」は、凄惨な殺傷事件を起こしてしまった青年の幼少時代を知る女性が、貧しかった彼を気にかけていた当時を振り返って語ります。

湊 女同士で話していると、「何年か前に別れた彼氏を偶然見かけたら落ちぶれていて。あの時私が捨てなかったらあんなふうにはなっていなかったかも」みたいな話を延々とされるけれど、でもちょっと待って、そもそもあなたのほうが彼氏に捨てられたんじゃなかったっけ……? と思うようなことってありませんか?(笑)そうやって不幸に酔いしれて話すのって、どれだけ気持ちいいんだろうと思って書きました。

――人って、どうして不幸な話がそこまで気持ちいいんでしょうね。

湊 安全圏にいることが分かっていて、何の責任も負わなくていいから楽なんじゃないでしょうか。クラス内でいじめられっ子がいた時に、「黙って見ていた私たちも加害者だよね」と言って泣くタイプの人ってそうですよね。そういう人に「あなたのせいじゃないよ」と声をかけると「中途半端な慰めはやめて!」と言ってさらに泣くという(笑)。

――目に浮かびます(笑)。こちらも最後の最後はブラックすぎて笑いました。次の「優しい人」は、バーベキュー場で一人の青年が殺されてしまう。彼の来し方について母親や教師たちが証言を重ねていき、それと交互に殺害の容疑者である女性・明日実の一人語りが挿入され、彼女の生い立ちも語られていく。

湊 この短篇の最後に書いた「優しい人」についての考えは、本当にそうじゃないかと思っていることです。
 ここでは、男性のほうは大事に育てられたおとなしい人というイメージで書きました。女性のほうは、嫌なことを頼まれても断れないタイプの人ですよね。

――明日実は決して悪い子じゃないんですよね。小学生の頃などは、給食の時間に身体が弱くて吐いてしまう子の汚物を嫌がらずに掃除してあげたりする。率先してやっているというより、断れずにやっているタイプですね。

湊 汚物の掃除って誰だって嫌ですよね。でも先生も、頼みやすい子に頼むんですよ。嫌って言わない子。たとえばヤンキーが子猫をなでただけでいい人扱いされるのに、そうして嫌なことを引き受けて頑張ってきた子がひとつつまずいたら、悪魔のような扱いをされるパターンもあるんじゃないでしょうか。そういう扱いをされた本人は「もう、やってられないよ!」という話ですよね。これは、まわりにもこういう人がいる、とか、自分もこうだった、などと思いながら読んでもらえたら嬉しいですね(笑)。

――まさに自分の小学生時代や中学生時代に、同じようなことがあったことを思い出しながら読みました。湊さんは小学生の時、どういう子だったんですか。

湊 まさに、ゲロ掃除係だったんです。もともと身体が弱くてよくもどす子がいて。またか、という感じで掃除をしていたら、帰りの会で先生が掃除を手伝った子たちを立たせてみんなに拍手をさせたんです。そうなるともう、次に吐いた時も掃除しなきゃ、という気になりますよね。

――小説内に書かれたのと同じ状況ですね。拍手するんじゃなくて手伝えって話ですよね。

湊 でも、私は席が近かったからたまたま掃除をしたけれど、離れた席にいるのにわーっと来て掃除する子もいるんです。そういう人は本当に偉いなと思っていました。
 だいたい、先生も手抜きをするんですよね。勝手にお世話係を作って、その子にやらせるんです。班替えの時、まず班長を六人くらい決めて、問題児と組み合わせていくんです。席替えでも先生が問題児の隣に、その子のお世話をする係を座らせようとする。隣に選ばれて泣いて嫌がる子もいて、そうすると嫌だと言わない子が代わってあげることになりますが、その子が何回も我慢したあとで「私も嫌です」というと一気に悪人扱いされてしまう。でも、悪い人と言われるくらいがちょうどいいんだろうなと感じます。
 私は青年海外協力隊に参加してトンガに行っていたことがあるんですが、トンガには「アンガコビ」という、「悪い人」という意味の言葉があるんです。トンガで「貸して」は「くれ」と同じ意味なので、何か「貸して」と言われても断らないといけない。すると「アンガコビ」と言われてしまう。でもだからといって、あげるわけにはいかないですよね。悪い人になったもん勝ちなんです(笑)。頑張って、いい人にならなくていい。
 親は子どもに対して「人に優しくしようね」と言って育てますし、そりゃあ優しい人のほうがいいとは思いますが、でも無理して優しさを背負わせることはないんじゃないかなと思います。

――さて、最後の二篇、「ポイズンドーター」と「ホーリーマザー」は対になった作品で、これが本書のタイトルになっています。「ポイズンドーター」は母子家庭で何かと母親に厳しく言われ、進路も指図されてきた女性が、偶然にもスカウトされて女優デビューを果たします。その後、テレビのトーク番組の出演依頼が来たので見てみると、テーマが「毒親」で……という。

湊 毒親というのは、ここ最近急速に使われるようになった言葉ですよね。新しい言葉ができた時、やたらと使われるので「それも当てはまるの?」と思うことってありませんか。いろいろ話を聞いていると、「それも毒親ってことになるの?」という内容で騒いでいる人が多い気がしたんです。
 本当に児童虐待のようなことをされていて、救助されなければいけない子どももいますよね。でも毒親についての本を読んでいると、「結婚式をするつもりじゃなかったのに親がお金を出すから披露宴をしろと言ってくる。お母さんはいつも私に命令するからノイローゼになる」というようなケースが書かれてあるんです。お金を出してくれるなら披露宴をすればいいのにって、どうしても思ってしまうんです。

――披露宴話だけじゃなく、日常的にそういうことが積み重なったから、精神的にまいってしまったんでしょうね。

湊 そうですね。ただ、そうしたケースが本当に大変なケースと同じラインに並べられると、本当に手を差し伸べなければならない事案が埋もれてしまうように感じるんです。
 自分も子どもの頃に「お母さん厳しいなー」と思ったこともありましたが、自分が親になってみると、やっぱり子どもの帰りが夜遅くなったら心配するし、勉強しないと心配する。そりゃ親として何か言うでしょう、と思いました。それを、もしも自分の子どもが有名人になって、テレビで「毒親だった」なんて言われたら嫌だろうなと思って。
 最近はテレビで自分よりも年上の人が親との関係を語っている様子を見ても、親の立場から聞いている自分がいるんです。そうすると、「もうそれ以上言わないであげて」という気分になる。テレビで言うのはフェアではないと思ってしまうんですよね。だって、もしもその親がまだ生きていたら、次の日からもう買い物にも行けなくなりますよね。

――確かに、毒親の話で発信されるものって娘側からの話が多いですね。親が「自分は毒親扱いされて傷つきました」といって発信しているケースってなかなかない。

湊 親の世代でもネットを使って発信できる人はたくさんいるだろうけれど、でも自分の子どもを悪く言う親はいませんよね。そもそも近所の人たちにちょっと話すようなことはあっても、知らない人たちに向けて意見を言うという感覚のない世代ですし。今は誰が聞いているか分からないところに向けて発信できる人が強くなってしまうのかなあ、と感じます。それでもやっぱり、電波を使って親を責めるのはいけないんじゃないかなって思うんです。もしそれで、親がそれまでと同じような生活ができなくなってしまったら、娘のほうがよっぽど「毒」じゃないか、と思ったんですよね。

――それで「ポイズンドーター」なんですね。親から同じことをされても、「毒親だ」と思う娘とそうでない娘がいる。そういう個人のとらえ方の違いってどうして生まれるんだと思いますか。

湊 結局は「今」なんじゃないかなと思います。今、うまくいっていない、今、望んでいた自分の姿になっていない、という状態で「じゃあどうしてそうなったのか」と考えた時に「毒親」という言葉を聞いて、「ああ、私がこうなったのはお母さんのせいかもしれない」と結びつける人がいるのでは。本当は自分の努力が足りなかったり、運がともなわなかったりという理由があるかもしれないのに、「毒親」という言葉ができたことで責任転嫁がしやすくなったんじゃないでしょうか。
 もしも親に厳しく「勉強しろ」と言われて育って、それでなりたい自分になれていたら親に感謝していたんじゃないでしょうか。男女交際について厳しくされたとしても、結婚して幸せになっていたら、きっと、なんとも思わない。今自分は不幸だと思う人が、「あの時にお母さんに厳しく言われたから男性不信になってしまった」と思うのでは。
 確かに、苦労して内定をもらったのに「こんな会社には行かせられない」といって勝手に内定を断る電話をかけてしまう困った親もいるといいますよね。でも、言葉ができたあとでそこに乗っかっている人が多いんじゃないかなあと感じています。友達同士で話していて一人が「私の親は毒親だった」と言い出した時に、「私もそうだったのかも」と言い始めると、もう不幸自慢が始まってしまって、泥沼ですよね(笑)。

――主人公たち以外にも何組かの母娘の話が登場しますが、最終話の「ホーリーマザー」のほうで、それぞれの親子関係の本当の姿が浮かび上がってきますね。なかには、傍から見て毒親に見えたけれども実際は仲良し母娘(おやこ)というケースもありますね。

湊 そう、ひと昔前は友達母娘が流行りましたよね。「高級ブランドのバッグを一緒に使ってまーす」というような(笑)。それも今は傍からみたら子どもを囲って手放さない親のように思われるのかなと思ったので、登場させてみました。

――そして、ラストはある人物の切実な思いを感じました。「姑よりはマシ」にはちょっと笑いましたが(笑)。やはり湊さんの短篇はどれも終盤、読み心地が変わる瞬間の心地よさがあります。ご自身は短篇を書いていて楽しいですか。

湊 このエピソードをこう見せるにはどんな形式がいいかなと考えるのは楽しいですね。無駄がなく、かつ、ちゃんと物語があるものを書くという点で、短篇は定期的に書いているととても勉強になります。後味が悪くて辛いの、と言う方もいるかもしれませんが、自分も好かれるために書いているわけではないので、「今回はこういうものを書きました」ということを、受け止めてくださる方がいたら嬉しいです。今回の場合は六通りの違うタイプの人たちの話なので、男の人も女の人も、どこかで自分に近い人を見つけてもらえるんじゃないかなと思っています。

光文社 小説宝石
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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