〆切本 左右社編集部 編 

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

〆切本

『〆切本』

著者
夏目漱石,谷崎潤一郎,江戸川乱歩,星新一,村上春樹,藤子不二雄A,ほか [著]
出版社
左右社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784865281538
発売日
2016/08/29
価格
2,530円(税込)

書籍情報:openBD

〆切本 左右社編集部 編 

[レビュアー] 池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)

◆言い訳にも文学の豊かさ

 ふつう生産者と消費者のあいだに取り次ぎがいて、納期をきめる。会社に「納期厳守」のビラが貼ってあったりする。守れないと迷惑をかけ、たびかさなると、取り次ぎに愛想づかしをされる。これが社会のルールである。

 文学の場合、生産者は書き手、作家、物書き。読者が消費者で、取り次ぎは編集者。納期はしめ切り。「〆切」などとヘンな文字をあてたりする。

 時がたち、日が過ぎて、やがて約束の〆切日。まにあわない、遅れそう、まだ仕上がらない-このあたりは御の字といわなくてはならない。〆切がきて、やっと取りかかった。この場合も上々のケースである。まるきり手をつけていない。ハナから忘れていた。催促されると謝るどころか逆に怒り出す。これさえもまだ可愛(かわい)い。では、どのような事態がもち上がるのか。

 おかしな、不思議な、とてもたのしい〆切文学のアンソロジーである。たぶん世界に二つとないだろう。通常の生産の場合はビラ一枚ですむことが、文学では千変万化する。急に胃のぐあいが悪くなって頭痛が始まるのは肉体的反応だ(寺田寅彦)。にわかにおのれの遅筆について考察を始め、一つ一つ根拠をあげていく(谷崎潤一郎)。

 「自分の文章をひさいで、お金を儲(もう)けるとは、なんという浅間(あさま)しい料簡(りょうけん)だろう」(内田百閒)

 「正直な話、私は毎日、イヤイヤながら仕事をしているのである」(遠藤周作)

 この期に及んで反省されたり、告白されても困るのだが、〆切がくると、きまって思索型に変身する。どこまでが現実で、どこからがフィクションなのか、その境目がわからない。

 さらに不思議でおかしいのは、泣きベソをかきつつも、編集者が少なからず〆切破りをいとしんでいることだ。実際、名作の多くは常習犯の手から生まれた。納期が文学性をおびて、モノガタリになる。〆切には文学の豊かさが鉱石のように埋もれている。
 (左右社・2484円)

 筆者はほかに夏目漱石、太宰治、長谷川町子、井上ひさし、村上春樹ら計90人。

◆もう1冊 

 福元一義著『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(集英社新書)。推敲(すいこう)・描き直しなど、編集者泣かせの漫画家の知られざる逸話。

中日新聞 東京新聞
2016年10月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク