「芸術界の東大」に潜入、変人たちの痛快な“反抗”

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「芸術界の東大」に潜入!変人たちを徹底取材

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 妻が現役の藝大生と書いてある著者のプロフィールが、光り輝いて見えた。うらやましい。むかし「藝大生の友人がほしい」と念じていたあのあこがれが蘇る。

 藝大の人と親しいことを他人に自慢したいわけではなかった。秘境である藝大の内部に入ってみたい、そこでの日常や課題に取り組む横顔を、ただ覗き見てみたいという好奇心だ。だからこんな本が出たら、読まないわけにはいかない。

 私的なつながりから入っていく藝大レポートかと思うと、そうではない。「音校」「美校」という藝大の二大勢力をバランスよく見ているし、学科や専攻も数多く取材して、いろいろな人の話をよく聞いている。こうした取材において「すなおに聞いて書く」のは意外に怖い行為だ。人間の心はきわめて弱いので、こういう怖い行為に際しては、あらかじめ自分の持てる武器(知識や人脈や理論などのもろもろ)でガチガチに武装してしまいがちなものだ。でもこの本にはそういう硬さがなくて、書き手の個性は文章の裏側にすーっと溶けていくような感じがした。著者は心の強い人だ。

 美校の油画専攻では、「愛って何だろう、性って何だろう」と純粋に悩みながらおずおずと異性に接する学生が目立ち、いっぽう音校の声楽科には「チャラい学生」が大勢いて、狩人のように異性を口説く。でもその違いは表面的なものなのだろう。片方は、人間という存在が男女に分かれ互いに求めあう原理を知り、それをなんとか色彩や形に変換して絵画の画面に活かしたいと思う内向的な学生であり、もう片方は、自分の肉体そのものが楽器であるゆえに「裸一貫になっても怖くない」「肉体を活用して生きよう」と楽観できる学生である、それだけのことなのだ。本書にはこの対比がじつに印象的に描かれている。

 もちろん、変わった人たちのエピソードも満載だ。受験までにピアノを練習しすぎて肩を壊し、ピアノは断念して楽理科に入った人。全員が漆にかぶれている漆芸(しつ げい)専攻の人。課題が厳しすぎて段ボールハウスに寝泊まりせざるを得ない建築科の人。みな幸せそうである。

 いま日本という国は経済の網目に覆われていて、その中に座標をもたない人は存在しないかのように扱われる。藝大の卒業生は半数が進路未定、すなわち行方不明だというが、これこそが経済崇拝社会への痛快な反抗ではないか。藝大がんばれ、いつまでも秘境であれと願う。

新潮社 週刊新潮
2016年10月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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