『秋萩の散る』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
鑑真に吉備真備、道鏡……奈良時代を縦横に巡る短篇集
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
気鋭、澤田瞳子の奈良時代を舞台とした堂々たる古代史小説の傑作である。
作品は五篇から成り、どれ一つとっても、短篇ながら長篇一冊分の読み応え─実に立派なものである。
巻頭の「凱風の島」は、鑑真招聘をめぐって対立関係にある、遣唐副使・大伴古麻呂と大使・藤原清河が、各々の明暗までをも分けてしまう物語である。
この確執は、若き留学生・藤原刷雄(よしお)を通して語られ、これに傍目には唐で出世したと思われつつも、実は無為の日々を過ごしたと慚愧に堪えぬ阿倍仲麻呂の存在が絡んでくる。
彼の「あまのはら ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という歌の扱いも秀逸だ。
続く「南海の桃李」は、大陸と日本との中継地たる南の島々に、漂流船に場所を知らせようとする石碑を建てるべく腐心する牛養と、留学生の育成に力を注ぐ吉備真備(きびのまきび)の友情物語。
ところが、いざ真備が南島へ行くと、そこには、石碑はなく、朽ち果てた木の碑があるだけだった。果たして─案ずるなかれ、感動の結末が待っている。
「夏芒の庭」は、中山義秀文学賞を受賞した処女作『孤鷹の天』とリンクする作品で、国を憂う若者を引き裂く権力抗争を余すところなく活写した力篇。
「梅一枝」は、その美しい題名とは裏腹に、権力にしがみつこうとする小心者をシニカルに描いて秀逸。
作品は、いずれも、奈良朝の仏教を政治の中でとらえて他の追随を許さないが、巻末に据えられた表題作で描かれているのは、道鏡晩年の心境である。
この作品、まずもって、道鏡と孝謙天皇の関係を色眼鏡で描いていない点に好感が持てる。それでも帝の死後、配流の憂目にあい、妖僧・行信が彼の前に姿を現わす。人生の晩景を寂寞(せきばく)の筆致でとらえて深い余韻を残す。