文学を爆破した比類なき存在

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歌の子詩の子、折口信夫

『歌の子詩の子、折口信夫』

著者
持田叙子 [著]
出版社
幻戯書房
ISBN
9784864881074
発売日
2016/09/21
価格
3,080円(税込)

文学を爆破した比類なき存在

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 近代日本の途轍もない「巨人」にして「怪人」が、天王寺中学からの帰り道、なにごとか口ずさみながら、ふらふらと歩いている。そんな、なんとも微笑ましい光景が脳裡に焼き付いて離れない。持田叙子の『歌の子詩の子、折口信夫』を読んでいると、等身大の折口少年を、明治の御代、ミナミの雑踏で見かけたとでもいった不思議な錯覚に襲われる。

 民俗学者、国文学者としての折口信夫、歌人、詩人としての釋迢空(しゃくちょうくう)には、その独特の修辞と難解さゆえに、いつも門前払いを喰らわされる。終りまで読めた本はいままでに、『死者の書』など数冊しかないという情けない状態だ。かりにも折口学の残り香を、大学時代に嗅いだはずなのに。「まれびと」も「貴種流離」も、「妣(はは)が国」も「天皇霊」も、日本人の心性を解き明かす重要なキーワードだとわかってはいるのだが、折口の論理と行程にどうしてもついていけなかった。

 この本でまず描かれる折口信夫は、明治二十年に大阪の下町で生まれ、父親から百人一首や西行の和歌を習い、万葉集を愛する「歌の子」である。「歌の子」は新時代の浪漫詩にも目を開かれた「詩の子」でもある。自作の新体詩を高らかにうたう。詩が「革命のことばであった」時代を存分に生きている。「古代人」折口信夫は、まぎれもない時代の子であったことが、折口少年の肉体にするりと入り込むような著者の文章によって明らかにされていく。

 放課後の折口少年は、心斎橋にある一軒の小さな本屋に入っていく。金尾文淵堂という文学史にも名を残すことになる本屋である。もともとは仏教専門店だったが、文芸サロンも兼ねる最先端の情報発信基地になっている。薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の処女詩集『暮笛集』の発行を引き受け、若き詩人泣菫は店の二階に居つき、帳場にも出る。折口少年は自分の小遣いを投じて新詩集を手に入れる。金尾文淵堂が出し始めた泣菫編集の雑誌「小天地」には、堺出身の与謝野晶子や夫の与謝野鉄幹も寄稿する。折口少年は決心する。「世俗の出世を求めるより、詩人として霊界に生きる星となろう」。

 釋迢空の第一歌集『海やまのあひだ』の代表歌は「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」である。この歌には、泣菫の華やかな詩語のイメージが嵌め込まれている。著者の持田は、折口少年の肉体から抜け出してきて、そんな指摘をし、語を継ぐ。

「なぜ折口信夫はその学問の始発に魂のテーマを据えたのか。列島に棲みつく以前の日本民族のながい海上のさすらいの歴史を思うとき、なぜ海の彼方の「わが魂のふる郷」を鮮烈に「実感」することから出発したのか」

『古代研究』に結実する折口学の「日本の歌の本領は魂の歌」という発見には、明治の浪漫詩人の「魂」「命」「生命」「心」の探求が大きく影響していた。「古代人」折口信夫の学問にも、「明治の子」の若々しい感情が波打っていたのだ。

 それは泣菫に限らない。『明星』の鉄幹・晶子夫妻の歌には男歌と女歌の交合があり、憂国の男子だった鉄幹は女歌に傾斜していく。「男歌と女歌とを往還する鉄幹は、久しく切断されていた王朝和歌の両性具有性を、めざましく復活させたといえる。(略)その多感な日の感銘と刺激が、歌の歴史学者としての折口にゆたかな栄養をもたらした。彼は己が鍾愛する新古今和歌集の歌びとたちの上にも、いちじるしい両性具有性を先駆的に見出した」。それは折口の自らの肉体と精神の両性具有者としての自覚でもある。

 折口が日本の古典を学ぶべく国学院入学で上京したのは、日露戦争講和で日比谷焼打ち騒動が起きている渦中だった。「老いた社会に走る亀裂を、大学生の折口は首都でまざまざと体感した。彼の〈古代研究〉の烈しい革命精神の一面は、まちがいなくここに深い根をもつ」。持田がここで注目するのは、自然主義の作家であり、特異な思想家でもあった岩野泡鳴との遭遇である。泡鳴の「神秘的半獣主義」は常識と道徳への反撃の書だった。その泡鳴は「古事記」を「愛にともなう凄まじい肉欲を肯定する」書物として読む。持田はそこに折口への影響を見る。「(折口は)一連の古代研究の論考において、日本の古代の神の神性のあかしを愛欲の肯定、すなわち〈いろごのみ〉に見出す。そのユニークな古代への通路は、泡鳴が早く十九歳の信夫のこころに示しておいたものにちがいない」。

 共感や影響ばかりではなく、反感と批判もある。折口自身と同じく「学問と創作の両道をゆく」森鴎外に対する攻撃はとりわけ厳しい。鉄幹・晶子の天才をあたら潰した文学指導者、性の悩みを取り澄ました筆致ですませた『ヰタ・セクスアリス』の著者が鴎外だった。中世の語り物を素材にした鴎外の「山椒大夫」は、奴隷解放のハッピーエンドで、産業社会への教訓に化した。折口の中世小説「身毒丸(しんとくまる)」は、「山椒大夫」の二年後に発表された。歴史と伝説は易々と合理的に解釈し、近代小説とするのではなく、「物語と語り手をめぐる日本文学史」の「原始」の風景へさかのぼる試みとして、折口は「身毒丸」を書いたと、持田は若き折口の鴎外への対抗心を抽出する。

 近代文学を同時代に浴びるほど読んだ折口信夫を、持田は「近代の文学制度を知的に爆破した」「比類ない近代の批評家」と書いている。本書でも言及される昭和二十二年の慶大での「近代文学論」講義を久しぶりに再読した(『折口信夫全集ノート編』追補第三巻)。折口にとっては余技にすぎない講義は、まさしく破壊力を備えていて、折口は初めて親しく私に近寄って来た。

新潮社 新潮45
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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